科学哲学コロキアム発表
「Social Empiricismの可能性
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科学哲学と科学社会学のよりよい関係を求めて--」

(発表原稿は こちらにあります。)

1997年6月15日
伊勢田哲治(メリーランド大学)


1. 最近の科学社会学の動向

1-1. 「社会的」という語の二つの用法

科学社会学者が「科学は社会的な営みである」と言うとき、「社会的」という言葉は大きく分けて二つの意味で用いられている。

social causation-- 社会は科学外の要因として因果的に科学に働きかけている

consensus formation-- 科学者共同体それ自体が特有の制度・規範を持った社会 として社会的に合意形成を行っている。

1-2. 4種類のsocial construction 社会学者がsocial constructionというとき、大きく分けて4通りの意味でのconstruction が考えられている。 事実の構成 科学理論の構成 人工物の実験室内での構成 実在の構成 1-3. どの部分を哲学に取り入れるか 事実や科学理論の構成におけるconsensus formationとしての社会的な要因の研究 は哲学者としても学ぶところが多いように思われる。しかしここで問題はいかに取り 入れるか。 2. 社会化された認識論 一つの方法として、自然化された認識論(naturalized epistemology)の延長として社会的要因をとりいれるやり方がある。 2-1. 自然化された認識論 自然化された認識論を特徴づける二つの主張 reliablism "ought implies can" principle 2-2. 社会化への延長 Hull の進化論的アプローチ Goldman and Shakedの経済学的アプローチ Kitcherの研究 これらの研究もreliablismと"ought implies can" principleを受け継いでいる。 2-3. 批判 reliablismは自然化された認識論の問題設定の仕方から派生している。別の問題設定の仕方をすればreliablismはそれほど説得力を持たなくなる。-> revised skeptic problematic "ought implies can"はもっと積極的に理解すべき。 3. Fuller の社会認識論 3-1. 科学政策決定としての認識論 科学的制度・機構は科学外の立場から検討し直す必要がある。 社会認識論は実験を通じてよりよい科学の制度・機構を発見し、科学共同体そのものに適用していくことをめざす。 科学に関する規範的判断は必然的に政策決定に関する判断となり、認識的な要素だけを取り出して判断することはできない。 3-2. 批判 ある科学機構に対する最終的な結論はたしかに認識的・非認識的な要素の両方を含むだろうが、そこにいたる考慮の過程では両者は区別されているし、また区別することには十分な理由がある。 4. Solomonの社会経験論 4-1. 個人的合理性によらない社会的合理性 個々の科学者の決定が不合理なものであったとしても、不合理な決定が適切に共同体の中に分布することによって、共同体全体としては合理的な決定を下すことができる。 そうした決定過程を評価する上では、合意された理論がその時点でもっとも経験的に成功しているものであるかどうかが判断の基準となる。 4-2. 問題点 社会的認識がいかにして個人的認識抜きに可能か 理論と観察のナイーブな区分を前提としているのではないか バイアスの分布を決定する何らかのメカニズムがあると仮定しなければ合理性の評価もあまり意味がなくなる。 5.結論 Solomonの立場はもっと細部をつめていく必要があるが、ほかの立場と比べれば将来性があるように思われる。 2-3で提案したrevised skeptic problematicの問題設定によればSolomonの経験主義のほうがreliablismよりまさっているように思われる。