ページ | 誤 | 正 | 情報提供・御指摘 (ありがとうございました) |
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32ページ2行目 | 最後 | 最期 | |
36ページ3行目 | 観察隊が世界各地に派遣され | 観察隊が二カ所に派遣され | 内井惣七先生 |
81ページ4行目、21行目、85ページ11行目 | 回答 | 解答 | |
82ページ最終行 | クーン | コペルニクス | |
99ページ最後から100ページ冒頭にかけて | アインシュタインの一般相対性理論の例でいえば、一般相対性理論から導かれる観察 可能な帰結として、当初、水星の近日点の移動、太陽重力による恒星の見 かけの位置の変化、ブラックホールの存在の三つが挙げられた。 第一の点についてはすでに長らく知られていた(第1章のヴァルカンの探求の話 参照)し、第三の点についてはブラックホールの存在を示唆する証拠が得られるのは ずっと後になってからである。したがって、一般相対性理論によってはじめて出てきた 新奇な予言としては、エディントンの観察隊によって確認された恒星の見かけの 位置の変化がほとんど唯一のものだった。 | アインシュタインの一般相対性理論の例でいえば、一般相対性理論から導かれる観察 可能な帰結として、当初、水星の近日点の移動と太陽重力による恒星の見 かけの位置の変化があった(もう一つの理論的な帰結としてブラックホールの存在 というのもあるが、これが問題となってくるのはまた後になっての話である)。第 一の点についてはすでに長らく知られていたので(第1章のヴァルカンの探求の話 参照)、一般相対性理論によってはじめて出てきた新奇な予言としては、エディン トンの観察隊によって確認された恒星の見かけの位置の変化がほとんど唯一のもの だった。 | 内井惣七先生 |
186ページ19行目 | で議論 | での議論 | |
204ページ 15行目 | 安斎育郎氏が | 安斎育郎氏の | 青木滋之様 |
218ページ 12行目 | さて、では実際に「ゼロ仮説が正しいとしたときに50人中20人以上に彼女ができる頻度」を計算してみよう。そうすると、50人に対して20人以上に彼女ができる頻度は12.3パーセントである。専門用語がいくつも重なってきてそろそろ辟易しているころかと思うが、この値をp値と呼ぶ。 | さて、では実際に「ゼロ仮説が正しいとしたときに、30%という標準値から これだけ大きいずれが生じる頻度」を調べてみよう。こうした問題を解くために 考案されたカイ二乗分布という分布を使うと、この頻度は12.3%だという計算結 果になる。この値をp値とよぶ。 | 北島雄一郎様 |
223ページ18行目 | もう一つの仮説が付け加わった | もう一つの仮説が付け加わった。 | |
256ページ22行目 | 観測 | 観察 | |
264ページ11行目 | Toulman, S. | Toulmin, S. | 小川眞理子様 |
265ページ7行目 | General Assenbly | General Assembly | 小川眞理子様 |
268ページ 10行目 | 都築秋穂/芝藤文子 | 都城秋穂/紫藤文子 | 青木滋之様 |
ページ | 誤 | 正 | 情報提供・御指摘 (ありがとうございました) |
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32ページ2行目 | 最後 | 最期 | |
81ページ4行目、21行目、85ページ11行目 | 回答 | 解答 | |
82ページ最終行 | クーン | コペルニクス | |
186ページ19行目 | で議論 | での議論 | |
204ページ 15行目 | 安斎育郎氏が | 安斎育郎氏の | 青木滋之様 |
218ページ 12行目 | さて、では実際に「ゼロ仮説が正しいとしたときに50人中20人以上に彼女ができる頻度」を計算してみよう。そうすると、50人に対して20人以上に彼女ができる頻度は12.3パーセントである。専門用語がいくつも重なってきてそろそろ辟易しているころかと思うが、この値をp値と呼ぶ。 | さて、では実際に「ゼロ仮説が正しいとしたときに、30%という標準値から これだけ大きいずれが生じる頻度」を調べてみよう。こうした問題を解くために 考案されたカイ二乗分布という分布を使うと、この頻度は12.3%だという計算結 果になる。この値をp値とよぶ。 | 北島雄一郎様 |
256ページ22行目 | 観測 | 観察 | |
264ページ11行目 | Toulman, S. | Toulmin, S. | 小川眞理子様 |
265ページ7行目 | General Assenbly | General Assembly | 小川眞理子様 |
268ページ 10行目 | 都築秋穂/芝藤文子 | 都城秋穂/紫藤文子 | 青木滋之様 |
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204ページ 15行目 | 安斎育郎氏が | 安斎育郎氏の | 青木滋之様 |
218ページ 12行目 | さて、では実際に「ゼロ仮説が正しいとしたときに50人中20人以上に彼女ができる頻度」を計算してみよう。そうすると、50人に対して20人以上に彼女ができる頻度は12.3パーセントである。専門用語がいくつも重なってきてそろそろ辟易しているころかと思うが、この値をp値と呼ぶ。 | さて、では実際に「ゼロ仮説が正しいとしたときに、30%という標準値から これだけ大きいずれが生じる頻度」を調べてみよう。こうした問題を解くために 考案されたカイ二乗分布という分布を使うと、この頻度は12.3%だという計算結 果になる。この値をp値とよぶ。 | 北島雄一郎様 |
268ページ 10行目 | 都築秋穂/芝藤文子 | 都城秋穂/紫藤文子 | 青木滋之様 |
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218ページ 12行目 | さて、では実際に「ゼロ仮説が正しいとしたときに50人中20人以上に彼女ができる頻度」を計算してみよう。そうすると、50人に対して20人以上に彼女ができる頻度は12.3パーセントである。専門用語がいくつも重なってきてそろそろ辟易しているころかと思うが、この値をp値と呼ぶ。 | さて、では実際に「ゼロ仮説が正しいとしたときに、30%という標準値から これだけ大きいずれが生じる頻度」を調べてみよう。こうした問題を解くために 考案されたカイ二乗分布という分布を使うと、この頻度は12.3%だという計算結 果になる。この値をp値とよぶ。 | 北島雄一郎様 |
268ページ 10行目 | 都築秋穂/芝藤文子 | 都城秋穂/紫藤文子 | 青木滋之様 |
ページ | 誤 | 正 | 情報提供・御指摘 (ありがとうございました) |
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38ページ7-8行目 | 彼らは「社会的」という言葉を科学者たちが合意に達するために相互に働きかける過程のすべてを「社会的」と呼んでいるようである。 | 彼らは科学者たちが合意に達するために相互に働きかける過程のすべてを指すために 「社会的」という言葉を使っているようである。 | |
45ページ 14行目 | 公平性の信条 | 対称性の信条 | 田中泉吏様 |
210ページ 3行目 | ミクロ理論化 | ミクロ理論家 | 岩月拓様 |
316ページ 8行目 | ヒューム自信 | ヒューム自身 | |
328ページ、1行目〜2行目 | http://www.il.proquest.com/ umi/ | http://il.proquest.com/products_umi/ dissertations/ | 岩月拓様 |
329ページ最後から4行目 | 研究の事例研究 | 事例研究 |
ページ | 誤 | 正 | 情報提供・御指摘 (ありがとうございました) |
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105ページ10 行目 | 十六世紀フランスの哲学者 | 十七世紀フランスの哲学者 | 青木滋之様 |
161ページ 11行目 | 理由を伴う主張であれば、そこには議論を特定することができるはずである。 | 理由を伴う主張であれば、それをもとに議論を特定することができるはずである。 | |
217ページ最後から3行目 | 温暖化対策をしなかったことで生じるコストよりも、対策しない ことで得られる経済成長の利益のほうがはるかに対策費用を 上回るらしい。 | 温暖化対策をしなかったことで生じるコストを差し引いても、対策しない ことで得られる経済成長の利益のほうがはるかに対策費用を 上回るらしい。 | |
243ページ 10行目 | 関連する対抗仮設 | 関連する対抗仮説 | |
247ページ 2行目 | Loutrage | Routledge | |
250ページ 5行目 | 本文でちょっとふれた超能力の研究についてもとりあげている。 | この一文を削除 | |
259ページ 11行目 | 『日経サイエンス』二〇〇四年七月号 | 『日経サイエンス』二〇〇二年七月号 | 森田邦久様 |
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105ページ10 行目 | 十六世紀フランスの哲学者 | 十七世紀フランスの哲学者 | 青木滋之様 |
247ページ2行目 | Loutrage | Routledge |
ページ | 誤 | 正 | 情報提供・御指摘 (ありがとうございました) |
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105ページ10 行目 | 十六世紀フランスの哲学者 | 十七世紀フランスの哲学者 | 青木滋之様 |
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109ページ12 行目 | Harris 1997, pp,30-37 | Harris 1998a, pp,30-37 | 杉本俊介様 |
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1ページ 最後の行 | 動物を殺してもせいぜい器物損壊にしかならない | 動物を殺しても器物損壊という位置づけにしかならない(動物愛護法違反には なるかもしれないが、これも動物を権利主体として認めるという趣旨の法律ではない)。 | 森田邦久様 |
7ページ 10行目 | われわはこれこれこうすべきである | われわれはこれこれこうすべきである | Kazuhiro Shigekuni 様 |
41ページ注10 | 大型類人猿(great ape)には、チンパンジー、ボノボ、 ゴリラ、オランウータン、ヒトの五種が含まれる(が、普通はヒト以外の四種を指す言葉として使われる)。 | 大型類人猿(great ape)には、チンパンジー、ボノボ、 ゴリラ、オランウータン、ヒトが含まれる(が、普通はこのうちヒト以外を指す言葉として使われる)。 | 「認識論を社会化する」スレッド381様 |
77ページ 3 行目 | ただし、シジウィックはムーアと違って功利主義の 基礎づけのために道徳直観に訴えている。 | ただし、シジウィックの場合はメタ倫理学として直観主義を擁護するというより功利主義の 基礎づけといった規範倫理学の方におもな関心がある。 | 杉本俊介 様 |
168ページ 11 行目 | ウィルソンも道徳の発達に関する 研究を哲学者のエリオット・ソーバーと共同で行ったりしてまだまだがんばっているのだが | 道徳の発達についてはエリオット・ソーバーとD.S. ウィルソン(先ほどのウィルソンとは別人)による共同研究などがすすめられているが | temporalia 様 |
176ページ 下から7 行目 | その中には徳倫理学や共同体主義に 基づく議論もあり、その紹介をしてからまた道徳の理由にも触れることにしたい。 しかしあらかじめ断っておけば、 | あるいは、「私」の概念そのものを見直 す共同体主義(第七章参照)からは、共同体のために何かをすることがそのまま自己 実現でもあるというような議論も可能である。しかし、 | 江口聡 様 |
250ページ 上から11 行目 | 存在先行説 | 先行存在説 | 児玉聡 様 |
293-295, 310 , 320, 349, 350, 360 ページ | ロジャー・スクラトン ないし スクラトン | ロジャー・スクルートン ないし スクルートン | 児玉聡 様 |
321ページ 5 行目 | 動物にも「人権」があり | 動物にも人権と同等の権利があり | 江口聡 様 |
323ページ 11行目 | 前節でも見たように | たとえば前節でも見たように | 神崎宣次 様 |
357ページ | ウィルソン, E.O 165-8 |
ウィルソン, D.S. 168 ウィルソン, E.O 165-7 | temporalia 様 |
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250ページ 上から11 行目 | 存在先行説 | 先行存在説 | 児玉聡 様 |
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76ページ | このようなシミュレーションの目的そのものを議論しているわけですね。 | このようなシミュレーションの目的そのものも問題になっているわけで、これが保全生態学をモード2的だと考える理由です。 | doramao 様 |
79ページ | アサザという絶滅危惧種の水草がありまして、ほかの場所ではほとんど絶滅していました。 | アサザという、当時絶滅危惧種に指定されていた水草がありまして、全国的にも生息数が非常に減っていました。 | doramao 様 |
79ページ | 非常に重要な役割を果たす植物ではないかということに気づいた。 | 非常に重要な役割を果たす植物ではないかという着想を得た。 | doramao 様 |
80ページ | 粗朶による消波堤が重要な役割を果たしました。 | 粗朶による消波堤というアイデアが取り入れられました。 | doramao 様 |
81ページ | この知恵自体は昔からあったもので | このアイデアは昔の漁法にヒントを得たもので | doramao 様 |
85ページ | また、霞ヶ浦のケースの伝統的生態学的知識のような、明らかに科学と見えないものが、ある意味で科学と同等の権威を持つ状況になってきますと、科学かどうかはどうでもいいのではないか、という考え方も出てきます。 | また、霞ヶ浦のケースのように、古典的な分類では科学的な知識とは言えないものが、ある意味で科学と対等に問題解決のために利用される状況になってきますと、科学かどうかはどうでもいいのではないか、と考える人も出てくるでしょう。 | doramao 様 |
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4ページ1行目 | 慈愛の思慮 | 自愛の思慮 | |
奥付 | 1921年(ウィリアムズの生年) | 1929年 |