科学的合理性と二つの「社会」概念

Scientific rationality and two concepts of 'social'

伊勢田哲治 ISEDA Tetsuji

The main aim of this paper is to think about the relationship between the sociology of scientific knowledge (SSK) and scientific rationality. The main part of the paper is a survey of SSK literature, which intends to establish that there are two major approaches in SSK, i.e. the social causation approach and the social process approach, based on two distinctive ways science can be 'social'. The difference is important for a fruitful debate on a SSK study. Two approaches have their own problems, and I propose that these problems can be remedied by incorporating scientific rationality into SSK as an explanatory goal.

Keywords: 科学知識社会学 ( sociology of scientific knowledge), ストロング プログラム (strong programme), アクターネットワーク理論 (actor network theory), 科学的合理性 (scientific rationality)

本稿の主な目的は、科学知識社会学 (sociology of scientific knowledge, 以下 SSK) と科学の合理性の関わりを考察することである。 SSK においては、「科学は本 質的に社会的な営みである」ということがしばしば主張され、これは科学哲学の提示する 合理主義的科学観(科学の営みは合理的に説明できるとする見方)と対立する主張と見な される。しかし SSK と科学の合理性の関係はそれほど単純なものではない。これを理解 するのに重要なのが SSK における二つのアプローチの区別であり、両者の間の「社会」 の概念の差である。本稿においては、まず、科学社会学の二つのアプローチについて概括 的なサーヴェイを行う。その後、その概念枠組みをベースとして、 SSK を巡る論争のあ り方、また SSK が今後進むべき道について考察を行う。

1 科学知識社会学の見取り図

「科学知識社会学」という言葉は、ここではおおむね1970年代ごろから後に登場 した科学についての社会学的分析のさまざまな流派の総称として使っている。それ以前の 科学社会学といえば、コロンビア大学のロバート・K・マートンの始めた、マートン流科 学社会学のことであった (Merton 1973 など ) 。マートン流科学社会学は、科学の合 理性・客観性を当然の前提として受け入れた上で、科学者共同体の構造の分析など、科学 の内容(理論・方法論)に関わらない部分を研究対象とした。こうした方向から、「目に 見えない大学」の分析や、引用分析などが盛んに行われた。

しかし、1970年代に科学の客観性に疑問を投げかける形で科学の社会性を分析す る研究のパターンが登場する。その嚆矢となるのが1976年にエジンバラ大学のデイ ヴィッド・ブルア提唱した「ストロング・プログラム」である。彼はマートン流科学社会 学が科学の合理的な部分を社会学的分析の対象外としたことを批判し、科学知識の内容ま でふみこんで社会的原因を分析するのが社会学者のつとめである、とした(科学知識社会 学という言葉もブルアが導入したものである)。エジンバラ大学では、この後、スティー ブン・シェイピンやドナルド・マッケンジーらブルアの考えを実践する研究者が次々に研 究を発表し、「エジンバラ学派」と呼ばれるようになる。イングランドのバス大学のハ リー・コリンズらも同様の問題意識からの研究を行っている。

以上のようなイギリスでの流れに対し、フランスではブルーノ・ラトゥールを中心と して別の流れが形成されている。ラトゥールは最初、生化学の研究室で参与観察を行い、 その結果をスティーブン・ウールガーと共著の形で発表して有名になった。以後、参与観 察は科学知識社会学の一つの典型的な方法論として確立されていく。その後、ラトゥール はミシェル・キャロンと共に「アクター・ネットワーク理論」を展開し、社会的要因の優 先性を強調するエジンバラやバスの科学知識社会学を批判するようになる。(彼らの立場 は「パリ学派」と呼ばれることもある。)

アメリカでは、以上のようなヨーロッパでの動きに影響された研究もあるが、それと は独立に、エスノメソドロジーと呼ばれるアプローチからの科学研究も行われている。エ スノメソドロジーは、会話分析を強調するなど参与観察法との共通点もあるが、方法論的 前提などが大きく異なっている(後述)。

以上のような様々な潮流を「科学知識社会学」と総称することには問題もある。パリ 学派などを中心として、科学の本質は科学理論などの科学的知識にあるのではなく、実験 や観察など科学者の実践 (practice) にあるのだ、という見方が人気をえており、この 立場からすれば「知識」は二次的な関心の対象でしかない (Pickering 1992 など参照 ) 。それにも関わらず「科学知識社会学」という名前を総称として使うのは、一つにはこ れらの立場をマートン流科学社会学から区別するよい名前が他にないからである。「社会 構成主義」という言葉が彼らの総称としてよく使われるが、これは領域の名前ではなく、 この領域で支配的な立場の名前と解するべきであろう。もう少し積極的な理由を挙げるな ら、これらの立場は、主な関心としてであれ副次的な関心としてであれ、科学的知識その ものの社会学的分析が可能であるという点で一致していると思われ、その意味で「科学知 識社会学」の名に値するといえるだろう。

2 社会的構成の二つの種類

前節の最後でも書いたとおり、科学知識社会学の主な立場の総称として、社会構成主 義という言葉がよく用いられる。しかし、社会構成主義における「社会的構成」という概 念は非常に曖昧に、また多義的に使われてきており、その用法を特定するのは容易ではな い。とりあえず、「構成」されるのは何なのか、という点と、その構成がどういう意味で 「社会的」なのか、という二つの点において明確な多義性がある。本論文の主な関心は後 者の区分にあるが、前者についても簡単に触れておく。

社会構成主義が「構成」されるものとして挙げるものをシスモンドは四つに分類する (Sismondo 1993, 516) 。(1)知識、方法論、分野、習慣、統制的理想など機構の構 成、(2)科学理論の構成、(3)実験室における人工物の構成、(4)表象の対象の構 成。シスモンドによれば、ノール=セティナ (Knorr-Cetina 1981) は(1)から (3)の意味で、ラトゥールとウールガー (Latour and Woolgar 1979) は(1)から (4)まですべての意味で「社会的構成」という言葉を使っているということである。本 稿で主に問題とするのは、(1)と(2)の意味での社会的構成である。これは、一つに は、本稿の目的が認識論と SSK の関係を考えることにある(そして認識論の研究対象は 科学の分野においては科学的方法論や方法論によって産み出された科学理論である)ため である。さらに言えば、(4)の意味での社会的構成は、いわば世界そのもの、事実その ものが社会的に構成されているというものであるから、かなり立ち入った存在論的議論抜 きには主張できない性格のものである。しかし、 SSK の文献にそうした議論はほとんど 見られず、今のところ真剣にうけとめるに値しないと思われる。

「社会的構成」の何が社会的か、ということについては、ここでは二つの主な考え方 を区別する。二つのアプローチをここでは「社会的原因 (social causation) 」アプ ローチと「社会的過程 (social process) 」アプローチと呼ぶことにする。両者の考え 方の具体的な肉付けはあとのサーヴェイにゆずるとして、ここでは全般的な性格付けだけ をまとめる。

社会的原因アプローチ ---- 科学的方法論・科学理論などが構成される上で、外部社 会が科学者の世界観・動機付け・物理的環境などを左右する形で原因の一部として働く、 という考え方

社会的過程アプローチ ---- 科学者共同体がそれ自体の構造・規範・決定過程などを 持つ小さな社会として、交渉の結果、科学的方法論・科学理論などを構成する、という考 え方

この二つのアプローチについて詳しい分析をする前に、もう少し予備的な説明をして おく。社会的原因アプローチのポイントは、科学に外的な社会的原因が科学方法論・科学 理論の形成に重要な役割を果たすという点である。さらに言えば、そうした科学外的要因 は必ずしも否定的なものとはとらえられていないのも重要である(否定的な要因としての 社会的要因の存在はマートン流の科学社会学でも認めるところである)。後で見るように 「ストロング・プログラム」ではブルアの「公平性の信条」に見られるように、社会的要 因は、合理的な理論の説明にも不合理な理論の説明にも等しく必要なものと見なされる し、フェミニスト認識論でも女性的バイアスが肯定的な評価を与えられることがある。

他方、社会的過程アプローチでは、科学者共同体の中の科学者同士の交渉の過程が重 視される。「交渉」という言葉はここでは、合意の形成にむけての行為者間の相互作用一 般を指す言葉として使うことにする。もちろん、科学に外的な要因も交渉の中に入ってく ることがありうるが、社会的過程アプローチではそれは必要条件ではない。合意形成の過 程、交渉の過程自体が「社会的」とみなされているのである。さらにいえば、後で見るよ うに、そうした交渉そのものは科学哲学で与えられるような完全に合理的なルールに基づ いて行われていてもこのアプローチとは矛盾しない。

もちろん、同じ社会学者が「社会的」という言葉をこの両方の意味で用いることは珍 しくなく、区別すること自体に意味があるかどうか疑問に思われる読者もあるかもしれな い。しかし、「科学は社会的である」という主張を擁護する際には両者の差は非常に重大 になってくる。社会的原因の存在を示すのは、社会的過程の存在を示すより遙かに難し い。他方、社会的過程の存在のみを主張するなら、古典的な合理主義的科学観と完全に両 立可能になってしまう(そして SSK の研究者の多くはそれをあまり望まない)という問 題がある。

ここでいう「社会的原因」と「社会的過程」の区別はわたしの独創ではなく、これに 類する区別はコールとコール (Cole and Cole 1973, 2) 、サージェント (Sargent 1997) ら、 SSK に批判的な立場にも、ノール=セティナ (Knorr-Cetina 1983, 116) やラトゥールとウールガー (Latour and Woolgar 1986, 152) など SSK の研 究者の側にも見いだすことができる。ただ、以上あげた論者はいずれも簡単な記述にとど まっており、この区別を SSK 全体を二つにわけて概括するための枠組みとして本格的に 使用した例はないと思われる。

3 社会的原因アプローチ

3−1 フォアマンのワイマール文化と量子力学に関する研究

社会的原因アプローチの先駆的業績として、科学史家のポール・フォアマンの仕事を あげることができる (Forman 1971) 。フォアマン自身は社会学者ではないが、かれの ワイマール文化と量子力学の関係についての研究は、科学理論の内容が社会的要因に影響 された明確な例として SSK の中でもよく言及される (Bloor 1981, 201-202 など ) 。

フォアマンによると、第一次大戦後のワイマール文化は、シュペングラーの『西洋の 没落』に代表されるように、反科学主義の風潮が強かった。そうした風潮によって特に攻 撃されたのは、因果的な決定論の考え方であった。当時のドイツの物理学者の何人かがこ の風潮に影響を受けていたのは書簡などから確認することができる。他方、当時のドイツ の物理学界では、コペンハーゲン解釈という、物理法則の非因果的解釈への転向が進んで いた。フォアマンはここで、非因果的解釈が避けられなくなるような証拠があらわれる< U>前に物理学者たちの転向が始まっている、という興味深い事実を指摘する。これか ら考えるなら、物理学者たちの非因果的解釈への転向を引き起こしたのは証拠ではなく、 よりイデオロギー的なレベルでの変化だったと考えられる。この分析は、ドイツとイギリ スの当時の文化を比較する研究で補強されている (Forman 1979) 。ここではドイツと イギリスの文化が独立変数、両国での物理学者の非因果的解釈の受容の度合いが従属変数 として扱われ、イギリスの経験主義的文化がイギリスの物理学者がコペンハーゲン解釈を 受け入れなかった原因であると示唆されている(ただし、統計的分析を行うわけではな い)。

フォアマンは自分の研究が因果的分析であることを強く意識している:「わたしが思 うに、歴史家は『知的風土を準備した』とか『いわば哲学的背景を準備した』などという 曖昧模糊とした表現に満足していてはいけない。歴史家は、科学者が文化的潮流によって 押し流される際の環境や相互作用を示すことによって、因果的分析を行っているのだと主 張しなくてはならない」 (Forman 1971, 3) 。さらにフォアマンは、これが単に心理学 的な分析ではなく、社会的な分析であることも明言している。「周囲の知的環境と現在の 経験への社会的に決定された反応 (socially determined response to the immediate intellectual environment and current experiences) 」として物理学 者の心理状態を分析するというのである (ibid.) 。この表現から見る限り、フォアマン自 身はワイマール文化自体が社会的要因だとみなしているのではなく、それへの反応の仕方 が社会的な要因によって決まっているのだ、と考えているようである。

3−2エジンバラ学派のストロングプログラム

前にも述べたとおり、社会的原因アプローチのもっとも典型的な例はエジンバラ学派 の「ストロングプログラム」に見いだすことができる。この立場は 1976 年のブルアの 『知識と社会表象』 (Bloor 1976) で科学知識社会学を行う上で受け入れるべき四つの 信条 (tenets) という形で提示された。四つの信条とは、

(1)因果性:科学知識は社会的な原因をふくむ様々な原因によって生成される

(2)公平性:正しい(合理的な)信念も間違った(不合理な)信念も、どちらも説 明を要する

(3)対称性:正しい信念も間違った信念も同じタイプの原因によって説明される

(4)反射性:以上の三つの前提は社会学自身にも適用される

である。対称性の信条と因果性の信条の組み合わせから、科学的信念の説明におい て、それが合理的な信念であるかどうかに関わらず社会的な原因を考慮に入れる必要があ る(とブルアが考えている)ことが読みとれる。

社会的原因として何が考えられているかを知るには、エジンバラ学派の具体的な研究 を幾つか見てみるのが早いだろう。ドナルド・マッケンジーの統計学の誕生に関する研究 においては、ゴルトンやカール・ピアソン、 R.A. フィッシャーらの社会的背景が分析 されている (MacKenzie 1981) 。マッケンジーによれば、初期の統計学上の論争(バ イオメトリックスとメンデル主義の論争や 'contingengy table' をめぐる論争など)で のゴルトンらの立場は、彼らが優生学を支持していたことに影響されており、優生学をす る上で有利な結論が出ている (135-142, 168-182) 。また、当時(19世紀末から 20世紀初頭)のイギリスでの優生学の支持者たちの多くは専門職をもつ中産階級であ り、彼らの階級的利害が優生学の推進に反映されていると推測される。シャピンとシャ ファーのボイル=ホッブズ論争の分析では、ロンドン王立協会とそのメンバーの権威がボ イルに有利に働いたと示唆されている (Shapin and Shaffer 1985) 。ボイルのエアポ ンプの実験の多くは王立協会の会議室で行われ、立会人となった人々の社会的な信用が実 験そのものの信憑性を高めるために利用された (55-60) 。逆に、ボイルへの反論の中で ヘンリー・モアが漁師の水中での体験を引き合いに出したのに対し、ボイルは漁師が無学 であるという理由でそうした証言そのものの信憑性を否定するという戦術をとっている (218) 。

この二つの研究は、イギリス社会の階級構造を科学的論争に影響を与える社会的要因 として特定している点は共通するが、影響の与え方に関しては異なっている。すなわち、 マッケンジーの研究では特定の科学者の論争上の立場が階級の利害と結びつけられたのに 対し、シャピンとシャファーの研究では、論争が決着に至る過程で作用した要因として階 級の差が考えられている。

3−3コリンズの研究

エジンバラ学派と共通の関心を持ちながら、ある程度独立して研究を進めてきたのが バス大学のハリー・コリンズである(彼とその周囲の研究を総称して「バス学派」という 表現が使われることもある)。彼の研究は、文献調査ではなく細かいインタビューに基づ く点と、階級といったマクロな社会的要因ではなく、個人的評判のようなマイクロレベル の要因に注意を払う点に特色がある。

彼の代表的な研究が、重力派をめぐる研究である (Collins 1985, 79-111) 。メ リーランド大学のジョセフ・ウィーバーは、 1960 年代の末に、一般相対論で予言され ている重力波を検知するための装置を作り、 1969 年に重力波を実際に検知したという 論文を発表した。しかし、他の研究者がウィーバーの実験を再現しようとした試みはすべ て失敗し、 1975 年ごろまでには、ウィーバーの実験そのものに間違いがあったのだと いうのが(ウィーバー自身を除く)学界での共通理解となった。

この論争で興味深いのは、ウィーバーと彼の反対者達双方が相手の実験装置や実験能 力に疑問を呈するという形で論争が進んだことである。この論争の構造を、コリンズは、 「実験者の無限背進 experimenter's regress 」と呼ぶ (Collins 1985, 83-84) 。 まったく新しいものを検出しようという実験の場合、何が正しい実験結果かは前もって決 めることはできない。結果に疑問があればよりよい検出装置を作って確かめることになる のだが、どういうものが「よりよい」のかについての答も何が正しい結果か分からなけれ ば出せない。したがって、こうした論争はどこまでいっても相手の実験装置を非難しあう ばかりで決着がつかないことになる。

しかしながら、実際には論争の決着はついているわけである。コリンズは論争に参加 した科学者達にインタビューして、お互いの実験を信用するかどうかどうやって決めたの か調査した。その結果、さまざまな「非科学的」理由が判断の中に入っていることが明ら かになった。例えば、実験者の能力や正直さ、大学で研究しているか企業で研究している か、結果の提示のスタイル、出身大学、科学者のネットワーク内での位置などが判断の要 因としてあげられている (87) 。

以上のような要因を社会的原因と考えるなら、コリンズは社会的原因アプローチに分 類されることになるし、少なくとも、彼がここで科学に外的な原因の存在を強調している のは間違いない。しかし、後で見るように、反論に答えていく過程で彼はむしろ社会的過 程アプローチに近い立場になっているようである。

3−4フェミニスト認識論

もう一つ、エジンバラ学派やコリンズとは独立した動きではあるが、いわゆるフェミ ニスト認識論 (feminist epistemology) も社会的原因アプローチに分類することがで きよう(彼ら自身は「社会的」という言葉をめったに使わないが)。フェミニスト認識論 は、科学がこれまでもっぱら男性によってなされてきたことを指摘し、その結果、科学に はさまざまな形でジェンダー・バイアスがかかっていると主張する (Keller and Longino 1996 など参照 ) 。例えばマーティンの研究によると、受精における卵子と精 子のそれぞれの役割について、旧来は卵子はもっぱら受動的役割を果たすとされていた が、最近はむしろ卵子の積極的な役割が強調されるようになってきた (Keller and Longino 1996, ch. 7) 。マーティンの分析によれば、古い見解と新しい見解の両方が、 女性についての(別の)ステロタイプ的な見方(男を待つ女という古いステロタイプと積 極的に男を捕まえる女という新しいステロタイプ)と結びついていて、これはそれらの理 論が描写される仕方に現れているという。この場合、科学に外的な社会的要因とは、ジェ ンダーに関するステロタイプということになるだろう。

3−5 社会的原因アプローチの問題点

以上のような社会的原因アプローチにおいては、科学に外的な社会的要因が実際に原 因として働いていることを示すという困難な作業がつきまとう。実際、上に挙げた研究の 大半がそうした観点からの批判をうけている。

フォアマンの研究に対してはいくつかの批判があるが (Hendry 1980 や Kraft and Kroes 1984) 、一番興味深いのはブラッシュの対案であろう (Brush 1980) 。ブラッ シュは、科学と文化の双方において、 1800 年以降、現実主義の時代とロマン主義の時 代がおよそ 35 年周期で交互に訪れている(そしてその周期が科学と文化で大体同期し ている)ことを指摘する。これは一見両者に因果関係があることを示しているようだが、 ブラッシュは別の解釈もありうると示唆する。ある立場が一旦極端まで行った後、人々が それに反発し逆の方向へ進む(そして反対の極端まで続ける)傾向があるとしよう。最初 のロマン主義の流れが始まった 1800 年ごろには科学と文化は未分化だったため、両者 の傾向は自然に同期していた。その後科学者と文化人の共同体は分かれたが、前の世代へ の反応のパターンさえ一致していれば、直接のやりとりはなくとも、両者の周期は同期し づつけることになる。このように考えれば、科学の外からの影響を考えずに、フォアマン の提示した証拠すべてが説明できることになる。こうした反論の存在は、因果的仮説を確 立することの難しさを示すよい例だろう。

シャピンとシャファーの研究にもサージェントの批判がある (Sargent 1997) 。サー ジェントはボイルの議論を分析し、たとえば漁師の証言を拒否する議論にしても、人間の 体の検出装置としての信頼性そのものを問題にしているのであって、単に無学な漁師であ るからといって却下しているわけではないことを示す。コリンズの研究に対してはアラ ン・フランクリンの詳細な反論が有名である (Franklin 1994) 。フランクリンは主に 出版された論文の記述をもとにして、ウィーバーの実験が否定されたのは十分科学的根拠 のあることだったと示す。例えば、コリンズは、ウィーバーとその反対者が別種のアルゴ リズムを使ったかのように論じているが、フランクリンによれば、ウィーバーの反対者達 は両方のアルゴリズムを使った上でどちらでも重力波が検出されないと結論しているので ある。これはウィーバーがどこかでミスを犯したと考える十分な理由になる。論争の決着 に重要な役割を果たしたのは、このような科学的判断であって、実験者の人格などについ ての判断は二の次である。

代表的な研究ですらこうした状況であるから、社会的原因アプローチの見通しはあま り明るくないと言わざるをえない。社会的原因アプローチを弁護するために一言付け加え るなら、この問題は実験的手法の使えない因果仮説一般について回る問題である。した がって、健全な合理的判断が原因となってある理論が受け入れられた、という因果的仮説 も、きちんと立証しようとすれば同じような困難に直面することになる。ただ、ここでも 両者の関係は完全に対称というわけにはいかない。コールが指摘するように、科学に外的 な要因と科学的知識の詳細な内容(たとえば E=mc 2 という式の正確な形)の連関が示されたことはない ( Cole 1992, 61) が、合理 的判断に基づく説明の場合、実験結果との突き合わせなど、詳細な内容に立ち入った連関 付けが可能である。

4 社会的過程アプローチ

4−1 人類学的研究

ラトゥールとウールガーの『実験室の生活:科学的事実の社会的構成』は、人類学的 な参与観察の手法を科学知識社会学に導入した初期の研究として知られている (Latour and Woolgar 1979) 。ラトゥールはソーク研究所において2年間、研究者たちの会話 などをメモにとるなどの観察を行い、それに基づいて、科学的知識がどのように社会的に 構成されるかが論じられている。

ラトゥールとウールガーは、ここでいう「社会的」が「技術的」と対立するカテゴ リーであるということを否定する( Latour and Woolgar 1979, 27 )。むしろ、彼ら によれば、「科学者が自分たちの観察が意味をなすようにしていく過程に注意を 向けるかぎりにおいて、われわれは科学的知識の社会的構成に関わっているとい えるだろう」 (32 、強調原文 ) 。また、同書の第二版では、「社会的」という言葉は ありとあらゆる相互作用を意味するようになったので、もはやあまり有用ではなくなった としている( Latour and Woolgar 1986, 261; その結果、サブタイトルの「社会的 構成」という言葉から「社会的」という言葉が削られている)。以上のような記述を総合 すると、彼らは「社会的」という言葉を科学者達が合意に達するために相互に働きかける 過程のすべてを「社会的」と呼んでいるようである。これはわたしが上で社会的過程アプ ローチと呼んだものの典型的立場だと言えるであろう。同じく参与観察法を使うノール= セティナも「社会的」という言葉を「一人以上の個人がからむ過程 ---- そしてそれら の個人が通常は関連するいろいろな側面において対立するような過程 ---- の結果」と いう意味で使うとしており、社会的過程アプローチをとる (Knorr-Cetina 1983, 117) 。

ラトゥールはソーク研究所でのフィールドワークの後、参与観察よりも科学者の書い たものの中に使われるレトリックの分析へと方法論をシフトしていくが、「社会的」とい う概念が科学の合理性と対立しないものとして扱われるという点では一貫している。たと えば、科学の論争で相手を説得する際のレトリックとして、ラトゥールが重視するのが、 さまざまな証拠や議論を引用すること(これをラトゥールは連携 association と呼ぶ) であるが、これも「社会的」だとされる。「ある分野がよりテクニカルになり特殊化する につれ、その分野はより『社会的』になる、というのも、ある主張を事実として読者に受 け入れるように強いるために必要な連携の数が増えるからである」 (Latour 1987, 62,  強調原文 ) 。このような態度は科学のレトリックを分析する他の研究者に も共有されている (Gross 1990 など ) 。

4−2 エスノメソドロジー

エスノメソドロジーの観点からの科学者の会話の分析も社会的過程アプローチにふく めることができるだろう。エスノメソドロジーはハロルド・ガーフィンケルの創始したア メリカの社会学の中の一つの流れで、理論的にも方法論的にも独特である。エスノメソド ロジストの主な手法である会話分析は、会話の細部にわたる構造的な分析が特徴である (Lynch 1992) 。たとえば話し手が入れ替わる際の微妙な合図やお互いの意志の確かめ 方などが分析の対象となる。また、彼らは言語の「指標性」、つまり我々の発話の文脈依 存性を強調する。会話を律する抽象的なルールと見えるものも、実際には個々の文脈の中 で産み出される秩序を後から形式化したものに過ぎないため、完全に文脈から独立するこ とはない。

このような観点から科学者の会話を分析した研究の代表的なものとして、可視光パル サー (optical pulsar) の発見に関する研究がある (Garfinkel, Lynch and Livinsgton 1981) 。この研究の素材となっているのは、そのパルサーが発見されたときの科学者た ちの会話をおよそ1時間にわたって録音したテープである。会話のどの部分でどのように してパルスの観察が可視光パルサーという物体の発見へと発展していったかということが 分析されている。ここで、可視光パルサーは物理的・自然的物体ではなく「文化的物体 cultural object 」であるとされる (141) 。共同研究者の一人であるリンチの解説に よれば、ここで「文化的」という言葉がつかわれているのは、この物体が観測機器の運用 から「抽出された extracted 」ものであり、科学者の仕事の「局所的な歴史性 local historicity 」の中で構成されたものだからであるという (Lynch 1992, 248-249) 。エスノメソドロジスト特有の難解な言葉遣いはあるものの、ここで「文化的」という言 葉が科学外の文化からの影響を意味するものではないことは確かだと思われる。研究の内 容と照らして解釈するならば、新しい物体の発見という認識を共有する過程で用いられる 会話上のテクニックが「文化的」だとされているわけであり、これは先に定義した意味で の「交渉」の一種と考えてよいであろう。

4−3 人間以外のものまで含めた交渉過程

ここまでに見てきた交渉の過程は科学者同士の交渉であったが、ラトゥールとミシェ ル・キャロンが展開しているアクター・ネットワーク理論では、科学における合意形成の ネットワークのノードとして人間だけではなく人工物や自然物までも含め、「社会」の概 念を大幅に拡張している (Callon 1986; Latour 1988) 。

この立場からの初期の仕事として、サン=ブリュー湾のホタテ貝研究についてのキャ ロンの分析がある (Callon 1986) 。彼によれば、ここでのホタテ貝研究者たちの研究 計画は、生物学者と漁師とそしてホタテ貝自身の間の交渉によって決定されていったとさ れる。この三者がそれぞれの必要や問題に応じて互いに働きかけ、また互いの働きかけに 応じるという交渉の過程の中で研究計画が形成されていったというわけである。たとえば

生物学者たちは、研究を成立させるために、ホタテ貝が適切に反応できるような状況 を設定してやらねばならなかったが、この過程は研究に不満をもつ漁師たちが適切な反応 をするように交渉をかさね条件を決めていく過程と酷似している(とキャロンは考え る)。

ラトゥールはこの立場を拡張して、人工物までノードに含める。たとえばホテルのド アを自動的に閉める装置は、かつてボーイが受け持っていた役割を肩代わりし、そこで成 立する関係は相手が人間であろうと装置であろうとあまり変わらない (Latour 1988) 。科学の文脈でいえば、人工物も交渉のネットワークに入るということは、科学者と実験 装置の間の相互作用はすでにそれだけで社会的だということを意味する。ここではもちろ ん科学外的な社会的要因は要請されていないから、社会的原因アプローチと解することは できない。

このような見解については、科学の社会学的研究の本来の趣旨を見失っている、と か、社会学者の能力を超えた部分のことまで分析しようとしているのではないか、という 観点から、コリンズとイヤーレイによって厳しい批判がなされているが、キャロンとラ トゥールからの反論もあり論争は決着がついていないようである (Pickering 1992; Pickering 1995) 。

4−4 社会的過程アプローチの問題点

以上のようなアプローチへの批判として、まず、コールが指摘するように、このアプ ローチではなぜ他の結論ではなく特定の結論が合意されたかを説明することはできない、 という点が挙げられる (Cole 1992, Cole 1992, 59) 。これはある意味では当然のこと であって、社会的過程アプローチは「どのように」ある合意が形成されたかの社会学的研 究であって「なぜ」その合意が形成されたかの説明を主眼とはしていない。もちろん、 「どのように」を記述する上で合意形成の方向を決めるにあたって重要な役割を果たす要 因も記述されるわけだが、そうした要因が「社会的原因」である必要はない。この観点か らすると、この批判は批判にはなっていない。「なぜ」を研究しないで「いかにして」ば かりを研究するのはつまらない、という反応もあるだろうが、外部の人間にとってつまら ないからといってある研究分野を批判するのは多くの場合お門違いである。

しかしながら、そのような形で上の批判に答えることは、このアプローチを取る SSK の研究者たち自身にとっても本意ではないのではないかと思われる。彼らは、昔ながら の合理主義的科学観にとってかわる何らかの新しい科学観を提示する意図をもって SSK の研究にとりくんでいるのであろうし、実際「科学は本質的に社会的である」という キャッチフレーズは新しい科学観を提案している印象を与える。これに対し、社会的過程 アプローチの意味で「社会的」という言葉を使ってしまうと、科学哲学の合理主義的科学 観への対案となるよりは、むしろそれを補強する結果となってしまいかねない。例えば、 ラトゥールとウールガーの『実験室の生活』に対して、彼らの記述する科学者の行動はポ パー流反証主義の科学者像を支持する結果になっている、というコメントがある (Tilly 1981) 。つまり、会話の中で次第に合意が形成されていく過程は、まさに様々な仮説が 検討されふるい落とされていく過程として理解できる、というわけである。同じような再 解釈は上述のガーフィンケルらの研究に対してもできるだろう。テープに録音された科学 者達の会話は、彼らの得たデータがパルサー以外のソースに由来する可能性を慎重にふる い落としていく過程と解釈することができる。もし、うまくいった科学的合意形成に関し てこのような読み替えがいつも可能なら、「科学は社会的だ」というのは合理主義的科学 観に対して深い洞察を何も付け加えない、表面的なスローガンになってしまうであろう。 (ついでに言えば、科学が「うまくいかなかった」例、たとえばルイセンコ事件などにつ いて、完全に合理主義的な読み替えがきかないことは、科学の合理性の熱心な信奉者でも 認めるところであろう。)

5 二つの「社会」概念の区別と SSK を巡る論争

以上、 SSK の文献をサーヴェイする形で「社会的」という概念が SSK においてど う用いられているかを見てきた。このサーヴェイの結論をまとめるならば、次のようにな ろう。まず、 SSK の外部ではあまり知られていないが、「社会的」という概念を「社会 的過程」の意味で使いながら研究をすすめている社会学者が少なからずいることがわか る。また、このサーヴェイは SSK の主な潮流はカバーしているので、各潮流の内部での さまざまな異同はあろうが、二つのアプローチの区分でおおよそ SSK の全体が見通せる といってよいであろう。そして、この二つの社会概念は科学の合理性との関わりがかなり 本質的に違うため、 SSK の研究を評価するためには、その研究がどちらの意味での社会 性を分析しているのかをきちんと押さえる必要がある。

SSK の研究者たちの主張を巡っては科学社会学者のみならず科学哲学者・科学史 家・およびそれぞれの分野の科学者をまきこんで様々な論争がなされている(その一部は それぞれのアプローチの問題点として上にも見た通りである)。しかし、 SSK の支持者 と批判者の間の論争は必ずしも実り多いものとはなっていない。その理由の一端は、「科 学は本質的に社会的である」という主張の意味するところが二つの社会概念の間でゆれて いることに求められると思う。そのことをコリンズの研究をめぐる応酬を例に考えてみよ う。

コリンズの重力波論争の研究は、上では社会的原因アプローチと解釈し、それへのフ ランクリンの批判を紹介したわけだが、同じ研究を社会的過程アプローチからの研究だと 解釈することもできる。このように解釈した場合、コリンズは科学者の交渉の過程そのも のに関心があったのであり、その中で科学に外的な要因が働いたかどうかは非本質的だっ たことになる。こうした解釈を支持するように見える表現が、フランクリンに対するコリ ンズの回答の中に見える。フランクリンは、先に見たような分析の結果、重力波論争を支 配する簡単な形式的規則はないかもしれないとみとめた上で、「その手続きが規則に支配 されていなかった、ないしアルゴリズム的でなかったという事実は、その決定が筋が通ら ない (unreasonable) だったということを含意しない」と結論づけている (Franklin 1994, 471) 。これに対し、コリンズは「わたしは科学者の行為が筋が通らないと示唆 したことなど一度もない」と切り返している (Collins 1994, 501) 。科学的な理由も 科学者たちの決定に重要な役割を果たしているし、コールがインタビューで発見した科学 外的な理由の多くも、「筋が通る」ものがほとんどである。ただ、「『筋がとおる』とい うことは社会的カテゴリーだというだけのことである (It is just that 'reasonableness' is a social category) 」。これを物理学から導き出すことはできな い」 (503) 。

この回答自体(特に「社会的カテゴリー」という言葉で彼が何を意味しているかにつ いて)、多義的な解釈が可能だが、少なくとも科学者が合理的な(筋の通った)判断をす ることをコリンズは自分の議論への障害とみなしていないことは読みとれる。一つの解釈 は、「筋が通っていること」とは何かの基準自体が科学外的な要因で決定されているとみ ることだが、コリンズの研究はそのレベルの科学外的要因についてはなにも述べていない という難点がある。むしろ、「筋が通っている」というのが科学者間の交渉という社会的 過程を律するカテゴリーだから社会的カテゴリーなのだ、と読んだ方がコリンズの研究の 力点と整合する。

しかし、このように、社会的過程アプローチとしてコリンズを解釈すると、コリンズ は、前節でみたような、合理的科学観に何も新しいことを付け加えていないではないかと いう批判に答えなくてはならなくなる。これに対するコリンズの答えは、合理的な要因は 全体像のほんの一部であり、それだけではすべては説明できない、というもので ある (Collins 1994, 503) 。しかしこれを強く主張するならば、結局社会的原因アプ ローチに逆戻りすることになる。つまりフランクリンの合理的な説明だけでは何が不十分 なのか、明確にする必要が出てくるが、コリンズがそうした説明を与えているようにはお もわれない。

ここでさらに社会的過程アプローチを擁護するためにがんばるならば、哲学的なカテ ゴリーに対応するものは現実に存在しないが社会学的カテゴリーは現実の構造をとらえて いるためそこに差がある、という議論がありうる。つまり、合理的な説明は不十分ではな いけれども非現実的であるというように批判の矛先を変えることである。そうした議論の 例として、ノール=セティナは「発見の文脈」と「正当化の文脈」は実験室では不可分に 混ざり合っているためこの区分は役に立たないと論じる (Knorr-Cetina 1981, 7-8) 。しかし、科学者のある活動そのものを二つの文脈のどちらかに分類することは難しいだ ろうが、同じ活動の中の二つの側面を区別することは必ずしも難しくない。たとえば実験 レポートを書く際に、新しい議論や解釈を思いつく作業と、その中で使えそうなものをよ り分ける作業は実際には同時的に行われているであろう。しかし、両者を区別して、前者 を発見の文脈、後者を正当化の文脈において解釈することは、何が起きているかについて の我々の理解を深めるために確かに役に立っているのではないだろうか。結局この種の議 論で社会的過程アプローチを擁護するのは難しいのではないかと思われる。

6  SSK の進むべき方向と科学の合理性

以上のように、社会的原因アプローチも社会的過程アプローチも、科学についての合 理的説明への対案としてはそれぞれの問題を抱えている。このままでは、 SSK は、社会 的原因アプローチをとって非常に困難な論証の道を進むか、社会的過程アプローチをとっ て「いかにして」合意が形成されるかの記述に終始するか、いずれにせよ合理主義的科学 観にインパクトを与えることは難しい。しかしながら、このような苦境(苦境だとは SSK の研究者たち自身はうけとっていないかもしれないが)はわたしの見るところでは SSK という分野そのものの問題ではなく、問題の立て方の問題ではないかと思う。一言 で言えば、合理主義的科学観と対立するのではなく、積極的にそれを取り込む形で科学の 社会的側面を探求するならば、 SSK の研究としても実り多く、また科学者・科学哲学者 らとの協同においてもより有意義な論議が行えるのではないか。

この点についてのわたし自身の提案である「もっと強いプログラム  even stronger program 」についてはすでに他の機会に論じたので、ここでは簡単に要点だけをまとめ る (iseda 1999) 。ブルアの「強い」プログラムの特徴は、公平性の信条、つまり合理 的なものも不合理なものも同じタイプの(社会的)原因で説明する、という点にある。し かし、これは社会学的説明の理想からいえばまだ控えめであるといわざるをえない。例え ば犯罪発生率の高い国と低い国があった場合、「どちらの国でも犯罪は同じタイプの原因 から起きている」ということを示すだけで満足する社会学者はいないだろう。何が犯罪発 生率の差の原因なのか、ということの解明に進まずにはいられないはずである。同様にし て、合理的な営みと不合理な営みでは何が違うのかを社会的な原因の観点から解 明してはじめて、合理性(不合理性)の社会的原因を特定したことになるだろう。もう少 し具体的には、科学と疑似科学では社会的レベルでは何が違うのか、科学の中で「うまく いった」例と「うまくいかない」例では何が違うのか、などの問題に社会学的観点からア プローチすることになろう。その差は外部の原因における差として現れるかもしれない し、内部の交渉過程の差として現れるかもしれず、その意味で社会的原因アプローチも社 会的過程アプローチもこのプログラムに寄与することができる。もちろん原因を説明する ことの困難さは残るけれども、合理的説明と矛盾しない(むしろそれを包含するような) 説明を目指すことで、合理主義的対案に対して自己弁護するというやっかいな仕事からは 逃れることになる。

このように書くと、科学者は合理的エージェントであるという旧来のイメージに逆戻 りしようとしているという印象をうけ、そこに反発する社会学者もいるかもしれない。し かし、科学者が(マートンの思い描いていたような)高潔な真理の探究者では必ずしもな く、さまざまな個人的目標や偏見に左右される存在であるということは SSK が(とくに 社会的原因アプローチの諸研究が)明らかにしてきたことである。むしろ、「もっと強い プログラム」が目指すべきは、そのような科学者たちから構成された科学者共同体が、な ぜ、全体としては、合理主義的科学観でも説明できるような合意形成を続けることができ るのか、ということの説明であろう。

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