米本昌平先生および書籍工房早山さんへの手紙

書籍工房早山様、米本昌平様

先頃は米本昌平先生の訳されたドリーシュ『生気論の歴史と理論』をお送りいただきありがとうございました。生物学の哲学の原点にたちもどって生物学理論を考える際には生気論と機械論の対比という話題を避けて通ることはできず、ドリーシュのこの本もそういう議論を行う際に参照されるべき本だと思います。その意味ではこの出版は慶賀すべきことになるはずだったと思います。
しかし、お送りいただいた本を拝読しはじめて少し妙に思う箇所がいくつかあり、原典(奥付に挙げられている英訳)と対照して読みはじめたところ、かなりの誤訳や訳しおとしがあることに気づきました。読みやすくするために訳に工夫をするということはもちろんあると思うのですが、本訳書はもっと単純なミスが多々あります。工業製品であれば不良品はリコールして修理する義務がありますが、もし同じようなルールが出版業界にもあったとしたら、本書も翻訳としては回収して訳し直すべき性質のものだと思います。

たんなる中傷だと思われないよう、冒頭の10ページほどから例を挙げます。各ページ3つくらいは深刻な誤訳があります。なお、以下の対照表はわたしのウェブサイトでも公開する予定ですのでご了承ください。


翻訳xiiiページ、英語原典 1ページ
原文:  that is to say, I know for myself when my actions deserve the predicate purposive, because I know my own objects.
米本訳:それはこうも言える。私自身、私の行動が予見可能な合目的性をもつ場合がわかる、なぜなら私は私の目標を知っているからである。
コメント: predicateをpredictableか何かと混同しているようです。predicate purposiveというのは「purposive という述語」という意味です。
試訳:つまり、わたしは自分の目標とするものを知っているから、自分の行為のうちで「目的的」という述語に値するものがなにかを自分で知っている。

翻訳 xivページ、英語原典2ページ
原文:In this way, then, we finally get all phenomena in the living being which can be shown to be directed to a single point, thought of in some sense as an end, subordinated to the purely descriptive concept of purposiveness.
米本訳:こうして最終的には、何らかの意味で目的をもち、ある一点に向っていると見なしうる、純粋に記述的な概念である合目的性の下に置くことができる、生命現象のすべてを把握することになる。
コメント: get A subordinated(Aを従属させる)という基本的な構文が読めていないため、意味のよくわからない訳文になっています。また、「純粋に記述的な概念である合目的性」と訳すとpurposiveという概念は記述的な概念だと言っているように見えますが、文意からいえば、いろいろな用法があってその一つとしてdescriptive conceptがあるという含みだと思います。
試訳:こうして最終的には、何らかの意味で目的をもち、ある一点に向っていると見なしうる生命現象のすべてを、純粋に記述的な目的性概念の下に置くことができるようになる。

翻訳 xvページ、英語原典3ページ
原文: For it is only in relation to organisms that the possibility of an end thus arbitrarily postulated can be thought of, at any rate without further consideration.
米本訳: なぜなら、目標が存在することを任意に仮定しうるのは、もっぱら生命に関係した場合であり、ともかく限定条件をつけずに考察できるからである。
コメント: at any rate以下がこれでは何のことかわからないと思います。また、細かいですがonly もきちんと訳されていないように見えます。
試訳:というのも、このように勝手に想定した目標がありうると想定できるのは---いずれにせよ、これ以上の考察をすることなくそんなことが言えるのは----生物に関係してだけだからである。

翻訳 xvページ、英語原典3ページ
原文:This is due, among other things, essentially to the fact that relation to an end implies two things:
米本訳:このことは、目標に対する関係が以下の二つのことを含んでいる事実に本質的に起因している。
コメント: 「含む」という訳語が多義的であるため、implyという言葉のもつ「意味の上での含意」というニュアンスが伝わらなくなっています。
試訳:このことは、目標と関係するということに以下の二つの含意があるという事実に本質的に起因している。

翻訳 xvページ、英語原典3ページ
原文:in the first place, the special adaptation of the process in question to an end (or better, its position in a system of objects thus typically adapted)
米本訳:第一に、ある目標に対して過程が特殊な適応を示すこと(もしくは、定型的な適応となるよう、物質系がそのような配置をとること)
コメント: betterという言葉の意味が訳されていません。its positionのit がprocessを指していること、positionが主語でadaptedが補語となる構文であること、thusが「そのように」という意味であること、typicallyという副詞は「典型的には〜」という意味で使われていることなどが読み取れていないためにカッコ内がまったく間違った訳になっています。
試訳:第一に、ある目的に対して過程が特別に適応すること(物体のシステムの中でのその過程の位置が典型的にはそのように適応していればなおよい)

翻訳 xvページ、英語原典3ページ
原文:This is a postulate which in nature is fulfilled in organic natural bodies, and at the first glance only in them.
米本訳:このことは自然においては生物の体において、そこにおいてのみ満たされるように見える仮定である。
コメント: at the first glanceをもっと丁寧に訳さないと意味がはっきりわかりません。
試訳:この仮定は自然においては生物の体において満たされており、しかも一見したところでは、そこにおいてのみ満たされている。

翻訳 xv ページ、英語原典3 ページ
原文:We do, however, as a matter of fact, also describe as purposive processes in certain objects which are not organic, but which are not objects of " nature " in the narrower sense---that is to say, in so far as we can speak intelligibly if not strictly of " culture " as an opposition to nature.
米本訳:しかし実際問題としては、合目的的な過程をある種の非生物ではなく、「文化」を自然の対極物とみなさないかぎり、狭義の自然の対象ではないものも合目的過程と記載することがある。
コメント: as an opposition to natureが単にcultureを修飾しているだけだということが読めていないために、「文化を自然の対極物とみなさないかぎり」という意味のよくわからない表現になってしまっています。
試訳:しかし実際問題としては、我々は、生物ではなく、また、狭い意味での「自然」の対象ではないようなある種の対象における過程を目的的と記述することがある。つまり、自然の反対としての「文化」について、われわれが語るのが(厳密ではないにせよ)意味をなす限りにおいてである。

翻訳 xvページ、英語原典3ページ
原文: and here we may start with our statement of the fundamental problem of biology.
米本訳:生物学の根本問題に対する命題の出発点になる。
コメント: 簡単なところですがstart withのwithを訳しおとしているために意味がまったく違う文章になっています。
試訳:生物学の根本問題についての言明を出発点にすることができる。

翻訳 xviページ、英語原典4ページ
原文:We may call the machine as a whole " practical " : it is the result of purposive action, of human action, but it is the fact that it is made for processes that distinguishes it from other human artefacts, from works of art for instance.
米本訳:機械は全体として「実用的(practical)」と表現するのが適切であろう。機械は、人間による目的論的な行為の産物であり、人間の手が加わった他の人工物、たとえば美術作品と区別しうる、ある過程のために作られたというのが実情である。
コメント: 「ある過程」を「他の人工物…と区別しうる」というフレーズが形容する形になっているために、他の人工物はまた別の過程のために作られているのかと思ってしまいます。it is ... that... の強調構文です。
試訳:機械は全体として「実用的(practical)」と呼んでもよいだろう。機械は、人間による目的論的な行為の産物であるが、機械を人間の手が加わった他の人工物、たとえば美術作品と区別しうるのは、機械が何らかの過程のために作られているという事実によってである。

翻訳 xviページ、英語原典4ページ
原文:There are, then, inorganic things, namely, those made by men, which show us processes deserving the predicate purposive.
米本訳:このように人間によって作られた無機的なものである機械も、実用的な合目的性が認められる過程を保持している。
コメント: predicateが今度は「実用的な」になっていますがやはり「purposiveという述語」です。また、この文自体は「そういう無機的なものがある」という意味であって、「機械」はその例として前段落で出されているにすぎません。また、organismを「生物」「生命」と訳してきているので、inorganicもそれに対応させる必要があります。
試訳:このように、無生物であるもの、すなわち人間によって作られたもの中にも、目的的という述語に値するような過程を我々に示すものがある。

翻訳 xviページ、英語原典4ページ
原文:It is clear that here the purposiveness of each single process rests on the specific order of the specific parts of the machine, and is determined by this order.
米本訳:この場合、個々の合目的性は、その機械の特殊な目標のための秩序の結果なのであり、この秩序によって与えられているのは明らかである。
コメント: この訳では「個々」のものがなんなのかわかりません。processは重要なキーワードなので訳し落としは禁物だと思います。specific order of the specific partsも意味がわからなかったのかごまかしたような訳になっています。determineを与えると訳すのも意味があいまいになって分かりにくくなっています。
試訳:この場合、個々の過程の合目的性は、その機械の特定の部分の特定の秩序に依存しており、この秩序によって決定されているのは明らかである。

翻訳 xviページ、英語原典4ページ
原文:Our reasoning has now brought us to a point at which the problem which we have described as the fundamental problem of biology presents itself for consideration. We are confronted by the all important question: are those processes in the organism, which we described as purposive, perhaps only purposive in virtue of a given structure or tectonic, of a "machine" in the widest sense, on the basis of which they play their part, being purposive therefore only in the sense in which processes in a machine made by men are purposive ; or is there another special kind of teleology in the realm of organic life ?
米本訳:なし
コメント: 一段落まるまる訳がぬけています。しかも、「重要な問い」を定式化している重要な段落です。こうした大きなミスがまったくチェックされていないということだけでも回収して訳し直すべきだと言ってもいいくらいです。
試訳:略

翻訳 xviページ、英語原典5ページ
原文: for it cannot be too often repeated that the mere assertion of purposiveness, mere teleology, to use the general technical expression, is purely descriptive.
米本訳:ここではっきり確認しておくが、合目的性についての単なる主張である目的論は、ここでは一般的述語として、純粋に記述的な意味で用いる。
コメント: この訳だけ見ると、前の文で「究極法則について決断を下さなくてはなるまい」と言っている決断の内容が、目的論を記述的な意味で用いるという決断であるように見えます。しかし原文を見ると、この部分は決断を下さなくてはならない理由について述べている箇所です。また、この一文だけで細かい誤訳が何重にもかさなっています。
試訳:というのも、目的性を単に肯定すること、つまり単なる目的論は、一般的な技術的表現を使って言えば、純粋に記述的なものだ、ということは強調しても強調しすぎることはないからである。

翻訳 xviページ、英語原典5ページ
原文:The term descriptive teleology will therefore be used definitely throughout the whole of this book to designate every descriptive view which deals simply with the existence of purposiveness.
米本訳: なし
コメント:一文まるまる欠落しています。これもこのあとずっと使う言葉の定義をのべている重要な箇所で、省略するとまずいところです。
試訳:記述的目的論(descriptive teleology)という語は、それゆえ、本書を通じて、単に、目的性の存在を扱うあらゆる記述的見解を指すために使う。

翻訳 xviページ、英語原典5ページ
原文:For the future we shall use the terms static and dynamic teleology to mark this opposition, in distinction to merely descriptive teleology.
米本訳:今後われわれは単なる記載目的論と区別するため、静的目的論と動的目的論という言葉を対比的に用いることにする。
コメント: 二つの言葉を導入する理由がずれているため、前の段落とのつながりが分からなくなっています。記述的目的論と区別するためではなく、前の段落の二つの区別をはっきりさせるため、です。
試訳:今後われわれは単なる記述的目的論と区別して、この対比をはっきりさせるため、静的目的論と動的目的論という言葉を用いることにする。

翻訳 xviiページ、英語原典6ページ
原文:The answer given in earlier times to this question, and the answer which we ourselves give, it is the purpose of this book to set forth;
米本訳:早い機会にこの問題に対して解答を与え、それを提示すること、それが本書の目的であり、
コメント: earlier timesは「早い機会」ではなく「より早い時期」つまり「過去において」ということです。これを訳せていないためにthe answer which we ourselves giveがまったく無視されています。ここも本の目的を述べているところですから誤訳の影響が大きいところです。
試訳:過去においてこの問いに対して与えられた答えと我々自身が与える答え、それらを提示するのが本書の目的である。

翻訳 xviiiページ、英語原典6ページ
原文:our treatment is concerned less with the personal element than with what is typical in the view we may be considering
米本訳: 個々の要素に関心を向けるのではなく、すべてわれわれが問題にしている点について、考察を加えている。
コメント: 「すべてわれわれが問題にしている点」という日本語を見てなんのことがよくわからなかったので原文を見ると、personal とtypical の対比で、typicalの方に重点を置く、という文章ですね。試訳は直訳に近くしましたが、「個人的なばらつきよりも共通する典型的な部分」というくらいに補ってもいいくらいだと思います。
試訳:われわれの取扱いは、考察対象になっている見解において個人的な要素よりも典型的なものに関心を向ける。

翻訳 xviii ページ、英語原典7ページ
原文:our failure will only be blamed by those who are ignorant of the peculiarities of our subject.
米本訳:その責任は対象の選択に失敗したこの私にある。
コメント: 原文とまったく意味が反対になっています。
試訳:われわれの失敗を非難できるのは、われわれの主題の特殊性について無知な者だけだろう。

翻訳 3ページ、英語原典11ページ
原文:IN an historical exposition of Vitalism which keeps the typical always in view, Aristotle may on the whole be regarded as representative of Antiquity.
米本訳:歴史上典型的な生気論的説明という点で、アリストテレスは、全歴史を通じて、古典派の代表的人物と見なすことができる。
コメント: 本文の最初の文章からいきなり誤訳が入っているのは読む気が失せます。which keeps the typical always in viewの意味が分かっていないために前半が適切に訳せていません。「古典派」というのは何だろうと思ったら原文はantiquity で、単に時代区分としての「古代」ですね。on the whole を「全歴史を通じて」と訳したのは次の文が念頭にあったのでしょうが、すくなくともこの冒頭の文ではそんなことは一言も言っていません。
試訳:典型的なものに常に注目するという方針で生気論の歴史的な解説をする上で、アリストテレスは、全体として、古代における代表的人物と見なすことができる。

翻訳 3ページ、英語原典11ページ
原文:The analysis of the Aristotelian theory of life must therefore be one of the corner stones of any historical work on biology.
米本訳:つまり、生命に関するアリストテレスによる理論的研究は、生物学史全体の中での要石でもある。
コメント:原文では生物学史についての研究の話をしているのに、訳文ではその対象である生物学史自体のレベルの話になってしまっています。
試訳: つまり、生命に関するアリストテレスの理論を分析することは、生物学の歴史についてのいかなる著作においても要石の一つとならねばならない。

翻訳 4ページ、英語原典11ページ
原文:We shall begin by analysing the theoretical views exposed in the first of the above works in order that, after we have seen how Aristotle traces everything back to the activities of the soul, we may turn to the statements of the other, which are of a more fundamental nature.
米本訳:ここではアリストテレスの魂の作用についての見解を見た後、より基本的な自然に関する彼の発言を検討するため、これらの著作の中で展開された理論的見解について、分析を試みる。
コメント:これから何をやろうとしているか説明しているところなので、正確に訳されていないと混乱します。the first が前の文の『動物発生論』、the otherが『霊魂論』を指しているのに気づかなかったために「これらの著作」とまとめてしまっているのではないでしょうか。また、of a fundamental natureは「根源的な性質の」というような意味で、「自然」と訳してしまうと誤訳です。
試訳:ここではアリストテレスがどのようにあらゆることの源泉を魂の活動に求めたかを見た後で後者の著作におけるより根源的な発言を検討できるようにするため、まずは前者の著作の中で展開された理論的見解について分析を試みる。

翻訳 4ページ、英語原典11ページ
原文:It is highly interesting to realise that the first exponent of a scientific " vitalism " takes as his point of departure the problems of formation, or embryology as it is called to-day.
米本訳:科学的「生気論」の最初の主張者が、今日で言うところの、形態形成もしくは発生学の諸問題をその出発点としている事実は実に興味深い。
コメント:「今日で言うところの形態形成」というのは何だろうと原文と対象したら、「今日で言うところの」はembryologyにしかかかっていないようです。
試訳:科学的「生気論」の最初の主張者が、形成の問題、つまり今日で言うところの発生学をその出発点としている事実は実に興味深い。

翻訳 4ページ、英語原典12ページ
原文:1 [ギリシャ語原文略]. The word κ ι ν ησι ς means in Aristotle not only change of position : it is much more general. The same is true of αρχη which means not only beginning in time.
米本訳:なし
コメント:これは原文12ページの脚注ですが、省略されています。脚注一般読者向けの翻訳に限るのであれば脚注を省略する場合もあるでしょうが、研究者も読者として想定するのなら脚注を省略するべきではないと思います。
試訳:略

翻訳 5ページ、英語原典13ページ
原文:"We must examine more closely the way in which a given plant or animal develops from the seed. For everything must necessarily arise out of something, and by something and as something."
米本訳:「植物や動物が胚から発生する仕方を、より詳細に研究しなくてはならない。あらゆるものは必ず、何かから生じ、何かを経て、何かになるのである。」
コメント:正確に訳すなら、seedは他では「タネ」と訳し、胚はgermの訳としてあてているので、それを踏襲すべきです。また、ギリシャ語原文も長いからといって省略しない方がいいでしょう。しかしここの訳文の問題はそこではなく、by somethingを「何かを経て」と訳しているところです。この先まで読んでいくと、このby somethingのsomentingはあとでconditioning factorと言い換えられており、作用因、つまり「何かの作用で」を意味しているはずです。このbyが訳せていないためにこのあとしばらくまったく原文の真意がつたわらなくなっています。
試訳:「植物や動物がタネから発生する仕方を、より詳細に研究しなくてはならない。というのも、あらゆるものは必ず、何かから生じ、何かの作用をうけて、何かになるのである。」

翻訳 5ページ、英語原典13ページ
原文:it therefore must lie within the seed, not indeed as something separated from it, but as a real part of it -transmitted to, and in turn becoming a part of the progeny.
米本訳: だからそれはタネの内部にあり、それから分離される何かではないが、それ自身の真の一部であり、若い時にその一部分に移行する。
コメント:not〜butのbutを「が」と訳しているのは初心者の犯しがちなあやまちですが、それはおくとしても、「若いときにその一部分に移行する」はなんのことかさっぱりわかりません。原文では「子(progeny)に伝えられて子の一部になる」ですね。
試訳:だからそれはタネの内部にあり、タネから分離される何かではなくてタネの真の一部であり、子に伝えられて子の一部となる。

翻訳 5ページ、英語原典13ページ
原文:and thus, to use a modern term, we may call his theory " epigenetic."
米本訳:これを現代的に表現すれば「記載的後成説」と呼ぶことができる。
コメント:原文にない「記載的」という言葉は混乱を招くだけです。
試訳:したがって、現代の用語を使うなら、彼の理論は、「後成説的」と呼ぶことができる。

翻訳 5ページ、英語原典13ページ
原文:This somewhat dark question is briefly answered.
米本訳:この難解な問題に対して、部分的には答えることが可能である。
コメント:一体誰が答えるのでしょうか?原文を読むと、「すぐに答えが与えられる」ということで、アリストテレスのテキストにそった解説をつづけているということが分かります。
試訳:このいくぶんはっきりしない問いに対する答えはすぐに出される。

翻訳 5ページ、英語原典13ページ
原文:The heart, the first visible part of the embryo, does not make the liver and the liver again another part, but one part comes into being after the other, just as the man succeeds the boy, but does not come into being through him.
米本訳: 心臓は、まず胚のある部分に見え始めるが、それは、肝臓は作らない。肝臓はまた他の部分から生じる。ある部分がまたその後に続いて生じる。それはちょうど少年が大人になるように。ただし大人が少年になるのではない。
コメント:これがアリストテレス解釈として正しいのかどうかはわたしには判断する能力はありませんが、英文の日本語訳としては明らかにまちがっています。というより、日本語を読んでも何を言っているかさっぱりわかりません。「肝臓はまた他の部分から生じる」は原文の意図と逆になっています。
試訳:心臓は胚の最初の視認可能な部位であるが、それが肝臓を作って肝臓がまた別のものを作る、というように進むのではなく、ある部位は別の部位が登場したあとで登場する、というように進む。それはちょうど大人が少年の後に現れるのであって少年を通して現れるのではないようなものである。

翻訳 5ページ、英語原典13ページ
原文:Otherwise, quite apart from the fact that there would be no ground for the formation of the heart, the nature and form of the liver would have to be contained in the heart:
米本訳:心臓が形成する基盤がなかったのだとしても、肝臓の本性と形態は心臓の内に含まれなくてはならない。
コメント:Otherwiseを訳していないために原文の意図とまったく逆の文章になっています。「さもなければ〜になってしまう、だから変でしょう?」という流れの文章です。また、「心臓が形成する基盤」も、原文では心臓は形成される側で、逆になっています。
試訳:さもなければ、心臓を形成する基盤がなくなってしまうという問題は別にしても、肝臓の本性と形相が心臓の内に含まれなくてはならないことになってしまうだろう。

翻訳 5ページ、英語原典13ページ
原文:for, according to Aristotle, whenever anything is produced by nature or by art, there arises something which is potentially (δυναμει ον) through something which is in actuality (εντελεχεια ον).
米本訳:アリストテレスによると、自然や技によって何かが生じるときは必ず、現実におこることを通して、可能となる何かが励起される。
コメント: forを訳していないため繋がりがわからなくなっています。「現実におこること」では原文の意図が通じないと思います。
試訳:というのも、アリストテレスにとっては、自然や技芸によって何かが作られるときは必ず、現実に存在するものを通して、可能的な何かが生じるからである。

翻訳 6ページ、英語原典14ページ
原文:and must therefore interrupt our exposition.
米本訳:だからわれわれの解釈もここで停止することになる。
コメント:ここで挙げているなかでは比較的許容できるミスですが、この訳では、なぜこのあともずっとアリストテレス解釈を続けているのか分からなくなります。expositionはあくまで「動物発生論」の解説のことで、interruptは一時中断くらいにすべきです。
試訳:だから[「動物発生論」の]解説をここで一旦中断しなくてはならない。

翻訳 6ページ、英語原典14ページ
原文:The question is as to the words dynamis and entelechy.
米本訳:基本的困難とはダイナミクスとエンテレキーという言葉に関わることである。
コメント: デュナミスをダイナミクスと訳すのはとてもまずいとおもいます。
試訳:基本的困難とはデュナミスとエンテレキーという言葉に関わることである。

翻訳 6ページ、英語原典1 4ページ
原文:and in any case not in the passage to which we have drawn attention.
米本訳:この点に注意しなくてはならない。
コメント:意味がまったく違います。
試訳:少なくともわれわれが注意を向けている箇所においてはそうではない。

翻訳 6ページ、英語原典14ページ
原文:The concept is much wider : by dynamis the statue is already contained in the block of marble,
米本訳: この言葉はもっと広い意味を持ち、それは宝石の原石にすでに含まれている。
コメント:後半をもっと丁寧に訳すべきだと思います。
試訳:この概念はもっと広い意味を持つ。たとえば、彫像はデュナミスによってすでに大理石の塊の中に含まれている。

翻訳 6ページ、英語原典14ページ
原文:But further logical examination being foreign to our present purpose we shall proceed with the exposition.
米本訳:本来の目的とは違っているが、さらに論理的な分析を進めてみよう。
コメント:原文は論理的な分析はこれまでにしようと言っているので、意味がまったく逆になっています。
試訳:しかし、これ以上の論理的な吟味は我々のここでの目的から外れるので、解説に戻って先に進むことにしよう。


きりがありませんのでこのくらいにしたいと思います。もう少し先までチェックしてみましたが歴史編を通じてかなりの誤訳があるようです。なお、理論編や「個体性の問題」も少しチェックしてみましたが、こちらの方は比較的誤訳が少なく(といってもこの歴史編の誤訳頻度とくらべての話ですが)、十分に読めるものになっていました。ということは序文や歴史編はどうでもいいと思って米本先生が手を抜かれたということなのでしょうか。


最後に、解説で米本先生が触れておられる、生気論的生物学の復権について少し感想を書かせて頂きたいと思います。こうした生気論が現代の生物学のまじめなリサーチプログラムになるかというと、非常に難しいと思います。ドリーシュの時代には分裂初期の細胞が持つ万能性について何の手がかりもなかったので、彼が万能性や調和的発生にまつわる問題を機械論的に処理できないと考えたのは無理からぬところもあると思います。しかし、米本先生自身解説で言及しているように、20世紀後半の分子生物学の発達によって、これらの問題に切り込む手がかりが得られ、まだまだ分かっていないことも多いとはいえ、明らかになってきたことも多いわけです。これだけ実り多いリサーチプログラムを放棄して、生気論のプログラムに転向するのは、少なくとも一線の科学者には考えられないでしょう。
もちろん、われわれ科学哲学者の仕事として、現在のプログラムで何が達成されたのか、何が今後できそうなのか、そして何が原理的に達成不能なのかを評価するという作業はあるでしょう。その科学哲学の観点からいっても、ドリーシュが見ていたような原理的な不可能性が万能性や調和的発生の機械論的説明を巡って存在するようには見えません。DNAを中心とした精妙な情報のやりとりの機構が機械論的なレベルでどんどん明らかになっている以上、万能性の開放や抑制についての情報伝達も化学的なレベルで分析できてもおかしくはありません。その意味で、現在の生物学の機械論的バイアスは科学哲学的にも十分合理的なものとして追認できると考えます。
米本先生が解説で何度も強調しておられる「合目的性」は、ドリーシュの言葉でいえば記述的目的論にあたる話です。記述的目的論の視点をとるのに生気論は必要ないということはドリーシュ自身が強調しているところです。また、機械論をベースにした目的論だからこそ、合目的性のほつれ、つまり例外的に合目的性が崩れているような場面についても理解し、どうしてそうなっているのかを解明するという作業に進むことができます。生気論を出発点にしてしまってはそうした例外の処理も難しくなります。
機械論と生気論の関係を、「勝つ」とか「負ける」とか、「憎悪」とかといった観点から考えるのでなく、リサーチプログラムとしての実り多さという観点からご覧になってみてはいかがでしょうか。生気論よりも機械論に基づく目的論を選択する合理的な理由がある以上、生気論の否定を「機械論の勝利」とか「憎んでいる」とかととらえる必要はないのではないでしょうか。
これとは別に、機械論的生命観の文化への影響といった問題はたしかにあって、それはまた考えるべきことだと思います。しかし、米本先生が本書の解説でおっしゃっておられるのはそういう問題ではないようです。

せっかく本を送って頂いたのに、否定的なコメントばかりとなってしまいました。しかしこれも、ドリーシュ流の生気論という生物学思想史的に重要な思想が信頼できる翻訳で一般の読者に提供されることを切に願うゆえのことだとご理解ください。

2007年5月23日

伊勢田哲治