科学技術論の視点から見たロボット

シンポジウム「ロボットと文学」提題
September 13, 2003
伊勢田哲治(名古屋大学情報科学研究科)

要旨
科学技術の社会への影響については、大きくわけて楽観論、悲観論、中立論の三つを考えることができる。ロボットを題材としたSFの多くもこれら三つの類型に分類されるような言説を多く生み出してきた。しかし、これら三つの立場には、重要な共通点がある。それは、技術の発展を、人間によって改変できない一種の自律的なプロセスとしてとらえる点である。こうした技術の自律性の考え方に対し、現在の科学技術論では「技術の社会的構成」モデルが注目されている。これは、技術の進歩を社会におけるさまざまな利害グループとの絶えざる相互作用の結果としてとらえる考え方である。ロボット研究の近年の進展についても社会的構成モデルをあてはめることができる。ロボットが今後社会に与えていくであろう影響を考えたとき、このモデルでロボット技術をとらえることは、技術者と社会双方に新たな責任を課すことになるだろう。

1ロボット技術をめぐる状況

ロボットについて広く認められた定義は存在しない。

定義の例:
「人間にとって必要な機能(の一部)を、必要に応じて自動的に代行する装置であって、そのためにも、なるべく人間に近い形態を持ち、人間にとってほどよい自律機能を持ち、人間と快適に共存できるもの」(本多2003)

しかし「人型」を定義に組み込まない考え方も多い。アンドロイド、サイボーグ、生体ロボット、リモコン型ロボットなどをロボットの定義に含めるかどうかについても意見がわかれる。

・現存するロボットのさまざまな形
人型(ないし動物型) 対 非人型(非動物型)
自律型 対 リモコン型
第三次産業ロボット(人間共存型ロボット)対 第二次産業ロボット(産業用ロボット)

・産業用ロボットは日本では80年代に大々的に導入され、現在でも世界の産業用ロボットの大半を日本が使っている(瀬名2001)
ここ数年もてはやされているのは人型・自律型ロボットだが、今のところ実用性はほとんどない。

・技術史的な観点から見たロボット
オートメーション化の一環としてのロボット→機械化・省力化の必然的流れ?(佐野1997)

・ロボティクスにおける緊張関係(荒井2000をはじめ多くのロボット研究者によって指摘されている)
産業に役立つロボットか、研究して面白いロボットか
→産業の側からの要請と大学での研究がうまく一致していない。

2ロボット技術をめぐる技術論的言説の類型化

ロボット技術についての言説における技術論的な側面はおおむね以下のような類型に分類することができる。(ただし瀬名2001などは例外)

楽観論 
・ロボットというものに対する肯定的評価
・人間の幸福に寄与するものとしてのロボット(アシモフの「ロボットもの」におけるロボットのイメージ、労働力としてのロボット)
・これまでできなかった新しい可能性を開くものとしてのロボット(「極限作業ロボット開発プロジェクト」におけるロボットのイメージ)
・新しい友人としてのロボット(「ドラえもん」、アミューズメント・ロボットについての言説)「広瀬さんは、15年ほど前、ホンダの研究室に入られたとき、上司から「鉄腕アトムを作れ!」と言われたという。(中略)「私はね、聞いてすぐ思ったのは、フレンドリーな人間型ロボットですね。お友達になれるというか。(以下略)」(アシモ開発者広瀬真人氏の談話、布施200334ページ)

悲観論 
・ロボットというものに対する否定的評価
・人間に破滅をもたらすものとしてのロボット(セイバーヘーゲンの「バーサーカー」シリーズ、「ターミネーター」、アニメ映画の「メトロポリス」、「R.U.R」 での人類の滅亡など)
・必然的に非人間的な扱いをされるものとしてのロボット(「ブレードランナー」でのアンドロイドの捉え方はこれに近いか)

中立論 
・ロボットというものに対する中立的評価
・使い方次第で幸福にも破滅にもつながるものとしてのロボット
・非人間的な扱いをすることで不幸になり、人間的な扱いをすることで幸福になるものとしてのロボット(「鉄腕アトム」全体としてはこちらに近いか)

多様に見えるこれらの言説の共通点
・ロボット技術の存在や、ロボットが人型(ネコ型etc.)であることについては所与のこととして問題にならないことが多い。
・説明が与えられる場合も、個人的な好みの問題である場合が多く、社会的な視点は入ってこない
・他の技術についての言説とくらべ、ロボット自体が幸福・不幸の判定の対象になることもあるという点がロボット技術に特有。(ロボットの幸福や不幸が倫理的な問題になるかどうかは興味深い問題だがこの発表では扱わない。関連する論点については伊勢田2003参照)

こうした特徴は、実はこれらの言説が科学技術論の観点から言うと比較的一面的な言説であることを意味する。

3 分析の視点としての科学技術論

ここで科学技術論として主に念頭に置くのはScience, Technology and Society やScience and Technology Studiesと呼ばれる分野。科学技術を社会との関わりという観点から分析する。

科学技術と社会の関係についての二つの見方

技術決定論 技術がある程度まで自律的に発展し、それが社会に影響を与えるという考え方 →技術の自律的発展(autonomous development of technology)

社会構成主義 技術の進む方向、技術の持つ意味などがさまざまな社会的グループの利害対立・交渉によって常に構成されているという考え方 →技術の社会的構成(social construction of technology)

技術の社会的構成の例:
自転車をめぐるさまざまな社会的グループの綱引き
スピード(若い男性)、安全性(女性、老人)、服装(女性)などさまざまなグループがさまざまな観点から「自転車」という技術にアプローチした結果、安全性よりもスピードを重視したモデル(前輪を大きくしたもの)が主流になった時期などもある

二つの視点とロボットについての言説の関わり
・産業用ロボットが正負両面で日本などの社会に大きな影響を与えたのは確かだろう。今はやりの人型ロボットも、長期的には社会に大きな影響を与えるだろう。その意味では技術決定論的視点にも一理はある。
・上記のさまざまな見解のうち、悲観論や楽観論は、ロボット技術の発展の仕方への社会の影響を考えることなく、ロボット技術の社会的影響(ロボットたち自身への影響も含む)を考える点で技術決定論的。中立論は「技術決定論」とはいえないが、ロボット技術の自律的発展を前提としてそれにどう対処するか、というレベルでものを考えるという点では悲観論や楽観論と共通する。
・ロボットの登場をオートメーション化、機械化、省力化の必然的な流れと考えるなら技術決定論になるが、実際には、画一的製品を嫌う消費者のニーズにより、産業用ロボットの利用は近年減少しているとのこと
→産業用ロボットについてすら技術決定論だけでは理解できない現象がある。ましてや人型ロボットについて技術決定論が成り立つだろうか

4人型ロボットの工学的理由付け

ロボット工学の側では「人型」にこだわることについてどういう説明がなされているのか。(早稲田大学ヒューマノイドプロジェクト1999、瀬名2001など)

(1)全般
・汎用性を高めるために人間型に近くなる。「また、単能ではなく多能化を求めるようになった結果、ロボットの形態は産業用ロボットもその他のロボットも必然的に人間の姿に似てくることとなりました」前掲書p.10 →しかしそんな必然性が本当にあるのだろうか?
・第二次産業ロボットから第三次産業ロボットへ移行するにつれ、親しみやすい形態が必要になる→アミューズメントをのぞき第三次産業へのロボット導入はかなり先の話(瀬名2001, 174-210)
・発想法として人間や動物から発想するのがやりやすい
・知能と身体は連動しており、人型ロボットの知能についての研究は人間の知能の理解に役立つ

(2)人間ににたアームについて
・人間の手作業の代替であるため、人間の手に近い形のロボットアームになる。
・人間の上肢の合理性からの説明(空間の任意の位置に任意の角度からアプローチできるだけの自由度を持つ)→ただし、人間の上肢とまったく違うシステム(パラレルリンク機構)も存在するが、ほとんど実用化されていないとのこと

(3)二足歩行について
・屋内で一番移動しやすいのは人間と同じ二足歩行→しかしそれだけではない。「僕らのロボットはようやく人間らしい形で歩いたり階段を上がったりするようになったけれど、それは人間をまねたからです。もしまねないとしたら、階段を上がるとき何も膝が前に折れる必要はない。ダチョウのように膝が凹んでいたほうが階段の角に臑が当たらなくていい。でもそれをやりだすと面白みがなくなるんですよ。」(アシモ開発の広瀬氏の談話、瀬名2001、35ページ)
・災害時には車輪などは役に立たなくなる。→当面実用化できず、現実的ニーズとはいえない

工学的説明を吟味すればするほど、さまざまな関係者の思惑が「人型」ロボットのあり方を規定していることが分かる

5「人型ロボット」の社会的構成

ロボティクス(ロボット工学)に社会構成主義の考え方を当てはめる試みはまだ少数(荒井2000のいう「ロボティクス論」は社会構成主義的視点を導入している)

人型ロボット開発を巡る社会的グループ----それぞれのグループが固有の利害を持ち、お互いに影響しあう。

(a)開発者のグループ(技術者)
 技術的な困難を乗り越えることの知的な魅力、「おもしろい研究」
  →大学での研究は純粋科学の側面が強く、応用性がないことが多い(荒木2001)
 古い世代は「アトム」に、新しい世代は「ガンダム」にしばしば言及する
(b)出資者のグループ(国家、企業)
 宣伝効果→国家にとっても企業にとっても大事。実用性よりも目に見える形になることが大事。楽観論の利用
 実用性→産業用ロボットへの応用は期待薄
(c)製品の生産・販売・維持に関わるグループ(企業、おもちゃ屋、サポート)
 売り物になること→アシモよりはアイボ
 消費財としてのシステムが確立できること
(d)ユーザーのグループ(産業側、一般消費者)
 工場におけるニーズ→人型ロボット研究に否定的
 一般消費者→ペットロボットのブーム、ロボットのイメージ
(e)非ユーザーのグループ(メディア、評論家、宗教的グループ、その他)
 ロボットについてのイメージを作る
 人間型のものをつくることへの憂慮
 人間性への影響に関する憂慮。悲観論の利用

これらのグループの綱引きの結果がどこに落ち着くかということについては、ある意味ですべてのグループが関わっている。人型・自律型ロボットがもてはやされる現状は、出資者と開発者の都合により、産業系ユーザーの声が押さえつけられた結果と思われる。
・二足歩行型が今後も開発されていくのか、それとも車輪ロボットなどにシフトしていくのか
・自律型が研究の中心でありつづけるのか、リモコン型に移行するのか(「ロボット」についてのイメージの差。アトムかガンダムか)
・第二次産業型ロボットと第三次産業型ロボットの今後の消長(「移行」するかどうかは結局ユーザー次第)
・ある種のユーザーの持つロボット観が無反省に他のグループに影響を与えたり、開発者の持つロボット観がユーザーに影響を与えたりする可能性

6技術者と社会の責任

社会構成主義的視点は技術者や社会の持つ責任について、決定論的視点とは違った考え方をもたらす。(伊勢田2001参照)

技術者の側の責任----自分の作っているものがどういう社会的影響を反映したものかということに自覚的になること。誰の利益を代表しているのか、この製品でだれが喜ぶのか
社会の側の責任---- 出てきたものに事後的に対処するのではなく、また頭ごなしに製品を否定するのではなく、その製品がどういう性格を持つか、これからどう発展していくかについて影響力を持っているのだということを自覚すること。
→文学、文学研究者の責任?


文献
荒井裕彦「ロボティクス史・ロボティクス論 _ 人間の営みとしてのロボティクス _」『第18回日本ロボット学会学術講演会予稿集』pp.893-894, 2000
http://staff.aist.go.jp/h.arai/robotics/rsj00.html
荒井裕彦「実践におけるロボティクス論」『第6回ロボティクス・シンポジア 予稿集』pp.147-153, 2001
http://staff.aist.go.jp/h.arai/robotics/robsym01.html
佐野正博「現代オートメーションの技術史的位置づけ」『経営論集』(明治大学経営学研究所)、第44巻 第3・4合併号(1997)、pp.199-232
http://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Technology/article/199703meiji_kiyo.htm
瀬名秀明『ロボット21世紀』文春新書2001年
布施英利『鉄腕アトムは電気羊の夢を見るか』晶文社2003年
本多庸悟『ロボット工学の基礎』昭晃堂2003年
早稲田大学ヒューマノイドプロジェクト『人間型ロボットのはなし』日刊工業新聞社1999年
伊勢田哲治「技術と社会---工学倫理の観点から---」加茂直樹編『社会哲学を学ぶ人のために』所収、世界思想社、2001年
伊勢田哲治「ニューラルネットワークは幸せになれるか」、戸田山和久ほか編『心の科学と哲学』所収、昭和堂2003年