信頼性主義の試行錯誤をめぐって

伊勢田哲治(名古屋大学)

1 ゴールドマンの目標

(1)自然言語の中にあらわれる「正当化」概念の分析
(自然言語そのものの曖昧さに起因する概念の曖昧さは、もし彼の分析が本当に自然言語の分析として正しければ、当然解消されずに残る→彼の分析は常に曖昧な部分を残す)

(2)認識論的な概念を非認識論的な概念に還元する還元主義的な分析→「正当化」という概念の分析には他の認識論的な用語、たとえば「合理的」などが現われてはならない

2「正当化された信念とは何か」(1978)における信頼性主義

R1もしSが時点tにおいてpを信じることが信頼のおける認知的な信念形成プロセス(あるいはプロセスの集合)の結果であるならば、Sがtにおいてpを信じることは正当化される。(Goldman 1992, 116)

例1
ジョーンズは信頼のできる記憶を持っているが、彼の両親は彼をだまして、ジョーンズは小さいときに記憶喪失にかかったのでそれより前の記憶はすべて嘘だという。ジョーンズには両親のいうことを信用する十分な理由があるが、かれはそれを無視して自分の記憶を信じることにしたとする。ジョーンズがそのようにして形成した信念は正当化できないように思われる。(Goldman 1992, 123)

例1の直観を救うために、R1はR2へ改変される。
R2 もし
(1)Sが時点tにおいてpを信じることが信頼のおける認知的な信念形成プロセスの結果であり、
(2)かつまた、Sにとって利用可能な他の信頼のおけるプロセスのうち、仮にSがそれを使っていたならばSはtにおいてpを信じなかったであろうような、そういうプロセスが存在しないなら、
Sがtにおいてpを信じることは正当化される。(Goldman 1992, 123)
(以下、この(2)の内容を「掘り崩し(undermining)条項」とよぶ)

R2はボンジュアの千里眼を使った反例群(例2)に対する回答にもなる。
例2
ある世界において千里眼が実は信頼のおけるプロセスであるが、
(a)千里眼の結果得られた信念に反する証拠があるか、
(b)自分が千里眼を持つという能力についての信念に反する証拠があるか、
(c)または千里眼という能力一般についての反対の証拠がある。
いずれの場合にせよ千里眼を使って得た信念が正当化されると考えるのは直観に反する(BonJour 1985, 38-40)

3 『認識論と認知』(1986)における信頼性主義

三つのレベル
Jルールの体系(J-rule systems)----信念の正当化の判断に直接使われるルールの体系(J-rule=justificatory rule)
正しさの規準(rightness criteria)---Jルールの体系の正しさを決める規準
枠組み原理(framework principles)---正当化という概念の意味に関わる原理

R3ー1(枠組み原理)Sが時点tにおいてpを信じるのが正当化されるのは以下の場合であり、その場合に限る
(1)Sがtにおいてpを信じるのはJルールの正しい体系によって許可されており、
(2)かつ、この許可はtにおけるSの認知的な状態によってほりくずされて(undermine)いない。(Goldman 1986, 63)

R3ー2(正しさの規準)あるJルールの体系が正しいのは次の場合であり、次の場合に限る
(1)その体系はある種の基本的な心理学的プロセスを許可し、
(2)かつそれらのプロセスが実際におこった場合、その結果として生じる信念の真理比率はある特定された高い敷居値(.50以上)を満たす。(Goldman 1986, 106)

通常世界群(normal worlds)----「現実世界に関するわれわれの一般的な信念と整合的な世界」の集合が通常世界群である(Goldman 1986, 107 強調原文)。

R3ー2’あるJルールの体系が正しいのは(いかなる世界Wにおいても)次の場合であり、次の場合に限る
(1)その体系はある種の基本的な心理学的プロセスを許可し、
(2)かつそれらのプロセスが実際におこった場合、その結果として生じる信念の真理比率は通常世界群においてある特定された高い敷居値(.50以上)を満たす。(Goldman 1986, 106, 107の記述から再構成)

通常世界群の概念が導入される理由の一つは例3のような反論に答えるためである。
例3
仮に我々がデカルト的デーモンにだまされて、世界についてまったく誤ったイメージをもち、それに基づいて信頼性の判断をするとしよう。その誤ったイメージに基づいてわれわれが最も信頼できると判断するプロセスは、実は常に誤った信念につながる、つまり真理比率のゼロなプロセスであるかもしれない。もしそうならば、現実世界での真理比率に基づく信頼性主義ではそのプロセスによって形成された信念は正当化されないことになってしまうが、これは非常に我々の直観に反する。(Lehrer and Cohen 1983, Cohen 1984)

4 「強い正当化と弱い正当化」(1988)における信頼性主義

正当化を巡る二つの直観の区別
例4
占星術で戦闘の結果を占う人の形成する信念は、信頼のおけない方法を使っているという意味では正当化されないかもしれないが、もしそれがその文化で広く認められている方法であるならば「非難に当たらない」という意味では正当化できると言って良いかもしれない。

R4ー1(強い正当化) あるルールの体系がある世界Wにおいて正しいのは、その体系が、Wに非常に近い世界の集合において高い真理比率を持つ場合、その場合に限る。そのようなルールの体系によって正当化される信念は強い意味で正当化されている。(Goldman 1988, 137の記述より再構成)

例5
ある世界において千里眼が実は信頼のおけるプロセスであるが、
(d)千里眼の存在を支持する証拠も反対する証拠もない。(BonJour 1985, 41)
この場合千里眼に基づく信念は正当化されない----ボンジュア、ゴールドマン(1986)
千里眼に基づく信念は強い意味でなら正当化される----ゴールドマン(1988)

R4ー2(弱い正当化)ある信念が弱い意味で正当化されるのは以下の場合である
(a)その信念を生み出すに至った認知的プロセスは信頼できない
(b)しかしSはそのプロセスが信頼できないとは信じていない
(c)Sは、そのプロセスが信頼できないと見分けるための信頼できるやり方を所有しておらず、またその様なやり方はSにとって利用可能ではない
(d)かつ、Sが信頼できると信じ、またSがもしそれを使えばこのプロセスが信頼できないと信じるに至ったであろうようなほかのプロセスや方法は存在しない。

 『認識論と認知』で枠組み原理の一部として意味のレベルにおいやられた「掘り崩し」条項がまた実質的な規準として戻ってきている

5 批判的検討

(1)日常的な正当化概念の分析であるということを、あまりに安易に言い訳に使いすぎ

(2)強い正当化について。デカルト的懐疑主義をまじめに受け取る限り強い正当化はわれわれの正当化をめぐる判断において原理的に何の役にもたたない。「われわれからみて信頼が置けるプロセス」と「実際に信頼の置けるプロセス」の間になんらかの連関がないといけないが、デカルト的懐疑主義はこの可能性を否定(例6)。

例6 より悪意に満ちたデーモン:このデーモンはわれわれの世界とほとんど同じ様な世界で働くが、だれかが千里眼を使おうとした場合には、われわれをだましてあたかも千里眼が正しい信念につながったかのように信じさせるとする。われわれは千里眼が非常に信頼のおけるプロセスであると思うであろう。デーモンの可能性を真剣に受け取る限り、その様なデーモンが存在する確率はきわめて低いということすら言えない。(Riggs 1997に類似の例あり)

クワイン(1969)のように懐疑主義を真剣に受け取ることをやめるという方策を取る場合は、安易な自己正当化に陥らない注意が必要。どの程度の懐疑主義に対してどの程度の知識が確保できるのかをきめ細かに探求する必要あり

(3)弱い正当化について。条件(c)は「非難に値する」ことの規準としては奇妙。かといって(c)を取ってしまうと(R4−2’)主観的になりすぎてやはりおかしい。
R4ー2’ある信念が弱い意味で正当化されるのは以下の場合である
(b)Sはそのプロセスが信頼できないとは信じていない
(d)かつ、Sが信頼できると信じ、またSがもしそれを使えばこのプロセスが信頼できないと信じるに至ったであろうようなほかのプロセスや方法は存在しない。

(4)そもそも「掘り崩し」条項自体が例1や例2からの誤った一般化に基づいているようにおもわれる。
重要なのは認知者がそのプロセスを使用するように期待されているかどうかということ(例7)。 例7
ある歴史家が証拠をあつめて過去の出来事についてある結論に達するが、もしも彼女が水晶球を覗いて答えを出していたらその結論は否定されていたであろうとする。さらに、彼女は知らないがこの水晶球は非常に信頼のおける手段であったとする。この場合彼女の信念は正当化されるようにおもわれる(BonJour 1985, 48)

6提案 ここまでの考察に基づき、ゴールドマンの強い正当化と弱い正当化の定式化を改良することを試みる

もっとも成功を収めた通常世界群(the most successful normal worlds)----ある世界の住人の間で世界の基本構造について対立する見解、つまり対立する「通常世界群」の考えがある場合、それぞれの通常世界群によって推奨されるプロセスを使い比べて見て、実際に正しい観測予測を生む比率がもっとも高いものを「もっとも成功を収めた通常世界群」と呼ぶことにする。

R5ー1(強い正当化)あるルールの体系がある世界Wにおいて正しいのは、その体系が、Wの住人から見てもっとも成功を収めた通常世界群において高い真理比率を持つ場合、その場合に限る。そのようなルールの体系によって正当化される信念は強い意味で正当化されている。

弱い正当化には「もっとも成功を収めた通常世界群」の概念は不向き

R5ー2(弱い正当化)ある信念が弱い意味で正当化されるのは以下の場合である
(b)Sはその信念の形成にいたったプロセスが信頼できないとは信じていない
(c)Sのまわりの社会で受け入れられている通常世界群から判断して信頼できるとみなされるプロセス・方法のうち、Sの使ったプロセスが信頼できないと見分けるために使え、またSがそのように使うことを期待されるものはない
(d)かつ、Sが信頼できると信じ、またSがもしそれを使えばこのプロセスが信頼できないと信じるに至ったであろうようなほかのプロセスや方法は存在しない。

これは内在主義への転換のように見えるが、
(1)強い正当化では認知者の自己弁護能力は正当化の判断に関与しないという意味で外在主義の重要な洞察は保持されている
(2)いったん使用する通常世界群が決まった後はそれに対する真理比率によって正当化が判断される
という二点で信頼性主義者にも受け入れ可能な修正案だと思われる。

References BonJour, L (1985) The Structure of Empirical Knowledge. Cambridge: Harvard University Press.
Cohen S. (1984) "Justification and Truth" in Philosophical Studies 46, 279-295.
Goldman, A.I. (1979) "What is justified belief?" in G. Pappas (ed.) Justification and Knowledge. Dordrecht: Reidel. Reprinted in Goldman 1992, 105-126.
--. (1986) Epistemology and Cognition. Cambridge: Harvard University Press.
--. (1988) "Strong and weak justification" in E. Tomberlin (ed.) Philosophical Perspectives 2: Epistemology. Atascadero CA: Ridgeview Publishing Company. Reprinted in Goldman 1992, 127-141.
--(1992) Liaisons: Philosophy Meets the Cognitive and Social Sciences. Cambridge: The MIT Press.
Quine, W.v.O. (1969) "Epistemology Naturalized" in Ontological Relativity and Other Essays. New York: Columbia University Press.
Riggs, W. D. (1997) "The weakness of strong justification" in Australasian Journal of Philosophy 75, 179-189.