動物福祉とは何に配慮することか

伊勢田哲治(名古屋大学情報文化学部)

1  動物権運動と説明責任

近年、日本でも徐々に動物実験反対の運動が大きくなり、さまざまなところで摩擦を生んでいるようだが、そうした摩擦を単純に科学に対する攻撃などととらえてはならないだろう。動物解放の過激な活動家がいる一方で、もっと穏健に動物の福祉に関心を持つ人々もいる。センチメンタリズムで行動する人がいる一方で、哲学的・科学的な背景に基づいて動物の福祉に関心を持つ人もいる。したがって、過激な活動家やセンチメンタルな慈善団体の存在を理由に、実験者が動物権運動全体を敵視・軽視することは避けねばならない。実験動物を扱う側は穏健かつ合理的な人々への説明責任を真剣に受け取る必要があるだろう。

本稿では、そうした説明責任をどういう方向で果たして行けばよいのか考えていくための一環として、原理的な部分にさかのぼり、「動物の福祉とは何か」という問題を「なぜ動物の福祉に配慮する必要があるのか」ということについての倫理学的考察との関わりにおいて考えていきたい。この二つの問いは部分的に相互依存しあう関係にある。動物福祉の実体が何であるかによって、それが配慮されるべき性質のものかどうかということについての答えも変わってくるであろうし、逆に、われわれが何に配慮するべきかという観点から「福祉」という概念のもっとも適切な定義も決まってくるからである。

2なぜ動物福祉に配慮すべきなのか

なぜ動物福祉に配慮すべきか、と問う前に、なぜその問いが必要なのかということについて簡単にコメントしたい。実験者といえども動物に対しては人並みの愛情を持っているし、動物を健康に保つことは実験の成功のために必要なことでもあるので、ことあらためて福祉と言わなくても十分動物福祉は守られる、という考え方がある。(実際、実験動物学会での発表の席上、会場からこういう趣旨の意見をいただいた。)しかし、まず、愛情に関していえば、愛情を持って接するからといって必ず福祉を尊重する結果にはならないし(親の愛情が必ずしも子供のためにならないことからもこれは分かるであろう)、愛情をあまり感じない実験者がいたとして、そういう人になぜ福祉を配慮すべきかということを説得するためにはできるだけ合理的な議論が必要であろう。実験の成功と福祉の関係についていえば、もしこの根拠でのみ福祉を大事にするならば、実験に特に影響がでない場面(実験が終わった後の処理など)では動物の福祉はどうでもよいことになってしまいかねない。

では、なぜ動物福祉に配慮すべきなのか。一つの考え方は、基本的道徳律の自然な拡張として動物福祉を見ることである。多くの文化・個人の倫理観の根底的な部分に「自分がしてほしくないことを相手にしてはならない」という黄金律や、「他人をむやみに苦しめてはならない」という危害原理が存在していて、人類の倫理の歴史はこれらの規則にいう「相手」や「他人」の範囲を拡張することで進んできた。そして、動物福祉は配慮されるべきだという立場のもっともスタンダードな(そしてもっとも説得力のある)論拠は、こうした拡張をホモ・サピエンスという種の境界で終わりにする正当な理由はないという議論である。あるいは、倫理学における有力な理論である功利主義によれば、この世界における倫理的な価値の最終的な根拠は幸福であり、この考えによれば、何かを欲求する能力、危害を被る能力、苦しむ能力があれば配慮の対象になるはずである。

もう一つの考え方として、普遍化可能性からの議論がある。上記の黄金律は想像上の立場の入れ替えを要求するが、これをもう少し一般化して、「同じ状況なら立場が入れ替わっても同じ判断を下さねばならない」というのは道徳判断の最も基本的な性質であるとされる(Hare 1963)。普遍化可能性を動物実験の問題にあてはめるには、例えば、知的能力が人類より遙かに高い異星人が人類を実験動物にすると想定した場合にも本当に同じ判断が下せるかどうか、という思考実験をしてみればよい。そこで自分がされたくないようなことを動物に対してするのは道徳判断として不整合ということになる。

これら二つの視点を組み合わせると、ホモ・サピエンスだけ特別扱いするのは、女性差別、人種差別、年齢差別などと同列の「種差別」(speciecism)だという考え方につながる(Singer 1975)。皮膚の色や性別といった遺伝的違いによる差別を認めないなら人間とチンパンジー(そして他の種)との間の遺伝的違いによる差別も認められないはずであるし、赤ん坊や精神障害者が知的能力において劣るからといって差別することをみとめないなら、チンパンジーを知的能力を理由に差別することもみとめられないはずである。片方を差別とみなし片方を差別と見なさないのなら、それ相応の理由をしめさなくてはならない。

3 動物福祉の三つの考え方

動物の福祉とは何かということについては幾つかの立場がある(Appleby and Hughes 1997)。代表的なのは、動物の「感情 feeling」や「選好 preference」に依拠して福祉を考える立場(選好説)、動物の「能力capability」や「機能充足 functionings」に依拠する立場(機能充足説)そしてその動物の「本性nature」にもとづいて福祉を考えようという立場(本性説)などである(表参照)。これらの立場にはそれぞれ長所・短所があるけれども、動物福祉を配慮しなければならない根拠との関係で言えば、結びつきがもっとも強いのは選好説であろう。というのも、黄金律、危害原理、功利主義といった考え方はいずれも「してほしくない」「苦しい」といった感情・選好を基礎に道徳的判断を下しているからである。他方、客観的・一律的なガイドラインと結びつけやすい、ということでは機能充足説や本性説の方に利がある。ここでは、配慮すべき根拠の強さと、配慮すべき内容の客観性・一律性の間に一種のトレードオフの関係ができてしまっている。

動物福祉の三つの考え方

  福祉の概念的定義 判定方法 長所 短所
選好説

 

快楽・苦痛

選好が満たされること

苦痛の評価基準へのあてはめ

選好テスト・動機テスト

直観的な幸福・福祉概念との親近性

個体差が大きい

心理について知る難しさ

機能充足説

 

個体としての能力の実現

身体諸機能が十全に働くこと

成長率・生殖率・健康状態・寿命など

ストレスの測定

判定方法の客観性

斉一的な適用に適す

ヘルスケアなどとの親近性

「福祉」についての直観と反する場面

人間に引きつけて理解しすぎている可能性

本性説

 

その種に本来そなわった能力・行動パターンなどの実現

野生状態との比較

 

人間的な基準のおしつけを避ける

野生動物保護への応用

概念のあいまいさ

なぜ本性を気にかける必要があるのか

 

 

4 人間の福祉との比較

福祉についての複数の考え方の対立というのは決して動物福祉に固有の問題ではなく、人間の福祉についてすでに起きてきた問題である。だが、だからといって人間の福祉が考慮されないということはない。したがって、三つの立場の対立は福祉を考慮しない理由にはならない。

人間の福祉については選好説と機能充足説が有力である。(人間の福祉に関する本性説は、伝統的にはホモセクシュアルや避妊に対する反論として使われたこともあるが、現在の倫理学ではほとんど見られない。)人間の場合、選好説は本人の望みが満たされているかどうかによって福祉を定義する(Parfit 1984)。しかし、不合理な欲望をどう扱うか、中毒や洗脳に基づく欲望をどう扱うかなどの問題がある。これに対して機能充足説では、何かしたいと思ったときにそれができる能力があるかどうかによって福祉を定義する(Sen and Nusbaum 1991)。基本的機能充足としては栄養、健康、寿命等が挙げられ、そのほか、人から尊敬される、社会の中に組み込まれている、なども機能充足である。しかし、機能充足説の説得力の源は結局われわれが機能充足を望む点にある。そんなわけで、両者は「一定の条件下での選好」、とりわけ「十分な情報の下での選好(informed preference) 」という方向へ収束する。

5 提案とまとめ

動物福祉を人間の福祉と類比的に捉えられるなら(そして、何らかの意味で類比的に捉えるのでなければそもそも動物福祉を問題にすることはできないだろうが)、そこからできる提案がいくつかある。まず、動物福祉の概念的定義としては「十分な情報に基づく選好」を中心に置くことになろう。選好についての基本的情報源としては選好テスト(動物の欲求を実際の選択に基づいて調べるテスト)や動機テスト(ある結果を得るためのコストを上下することによって選好の強さを測るテスト)を使う(Appleby and Hughes 1997)。選好テストの不十分な点を補うために、機能充足の測定や野生状態との比較をとりいれることにも意味があろう(この形で機能充足説や本性説の利点を取り入れることができるだろう)。これは「もし動物が十分な情報に基づいて判断できたら何を選ぶだろうか」という反実仮想をシミュレートするための手がかりと位置づけることができるだろう。

このような形で福祉についてのさまざまな考え方の間の対立が調停できたとしても、まだ答えられるべき難問は多い。たとえば、動物福祉と科学の発展という全然性質の違うものをどうやって秤にかけたらよいのか、どういう動物についてどの程度配慮しなくてはならないのか、野生生物の保護にも動物福祉の考えを拡張するべきか、といった問題である。しかし難問が残っているからといって、できることをやらない理由にはならない。

Appleby, M. C. and Hughes, B. O. eds. (1997)Animal Welfare. CABI Publishing.

Hare, R. M. (1981) Moral Thinking: Its Levels, Method and Point. Clarendon Press.

Parfit, D. (1984) Reasons and Persons. Oxford University Press.

Nussbaum, M. and Sen, ,A. eds. (1991) Quality of Life. Clarendon Press.

Singer, P. (1993) Practical Ethics 2nd. ed. Cambridge University Press.