ABET 2002年度年次総会 報告

伊勢田哲治(名古屋大学情報文化学部)

2002年10月31日から11月1日にかけてピッツバーグで行われたABET年次総会について報告する。当日は300人近い参加者があり、韓国など海外からの参加者も目立った。今回の年次総会は、"2nd national conference on Outcomes Assessment for program improvement"と題され、ABET の認定の基準であるECC2000が「結果による評価」(outcomes assessment, OA)という考え方を取り入れたことをうけ、OAはうまくいっているのか、今後の課題はなにかということをテーマとして行われた。
初日の午前の最初にはキーノートセッションが行われた。EC2000の成立に関わったコールズ、アーンスト、プラドスの三人がそれぞれの視点からEC2000の成立と今後のABETの進む道について短いプレゼンテーションを行った。80年代までのABETの評価基準は何が教えられたかということに集中し、カリキュラムの詳しい内容について規定する性質のもので、工学教育の硬直化や現状維持に寄与する性質のものだった。特にアーンストが強調するのは、認定制度とは品質保証のためのものであるはずなのに、80年代までのABETの基準には品質保証という観点が欠けていたということだった。また、社会からの要請として、顧客満足や環境への配慮といった視点も挙げられる。そこで、89年から90年にかけて、新しい認定基準の模索が始まり、それがEC2000として結実する。三人のスピーカーが共通して強調したのは、新しい基準はまず基準の簡素化・認定手続きの簡素化を目指したという点である。具体的には、18ページあった認定基準が3ページに縮められた。また、あたらしい基準は、どういう授業がなされたか、ではなく、何が学ばれたか、という結果による評価、OAを特徴とする。さらに、学生の積極的な参加を要求し、学生にどうやって学ぶかについて学ばせ、自己学習をうながすという視点もとりいれられた。各教育プログラムの創意工夫を大事にするということ、継続的改善(continuous improvement)を目指すことや、外部への説明責任を果たすという点もEC2000で強調された。
プラドスはまた、 OAを導入したことによる新しい挑戦の問題にも触れた。特に問題となったのは、どうやって評価者を訓練するかということであった。基準が簡素化した分、基準を満たしているかどうかを判断する側の負担は大きくなった。この問題については、ABETではNSFや産業の手をかりて、評価者の育成システムを構築してきた。また、認定プロセスはほっておくとだんだん劣化していき、単なるチェックリストと化してしまう危険性を常に秘めている。それをさけるためには継続的な注意が必要である。
初日午前の第二のセッションは「教室を越えて」というタイトルで、OAが企業の求める人材を本当に生産しているかどうかという問題が扱われた。最初の報告者(バッツ)は、企業における品質管理プログラムであるシックス・シグマに関する報告を行った。これはモトローラで品質維持のために開発された考え方で、産物の統計的なばらつきを減らすことで顧客の予期するものを提供するという手法である。かつて品質管理の基準として使われていた"99.5% defect free"という基準はこれだけ大量の製品がある時代には不十分である。6シグマレベルは100万分の3〜4の欠陥品を意味し、「6シグマ」は6シグマレベルを目指すための品質管理プログラムである。このプログラムは訓練された専従の品質管理担当者を中心に組織されたチームを中心に遂行される。報告者は、企業が現在エンジニアに求める能力は単なる専門知識ではなく、チームでの仕事などソフトな技術であることを強調。次の報告者(コー)はSME educational foundationによる製造業における能力ギャップ(企業が必要とする能力と大学が提供できている能力の間のギャップ)についての調査を紹介した。たとえば国際的な理解やプロジェクト管理の能力については企業からの要望が高いにも関わらず、エンジニアの教育のなかには明確に組み込まれていないため大きなギャップが存在する。EC2000の結果についての基準(基準3)のa-kにもこれらの能力は組み込まれていないが、会場からの発言で、SMEは実際にこのサーベイに基づいて認定基準を修正することを考慮しているということが述べられた。また、このSME educational foundationはすでに企業にいる学位のないエンジニアに対して認定を行うことを提案した。第三の報告者(ホーイ)は最近の卒業生についての雇用関連パフォーマンスについてのフィードバックを得るプロジェクトについて論じた。情報源は、インターン(co-op)プログラム(参加した学生と企業双方)、卒業時のサーベイと人事担当へのサーベイ、卒業生たちとその上司へのサーベイなどである。この種のサーベイでは尺度の客観性が問題となるため、三角測量(いくつかのサーベイの併用)が必要である。co-opサーベイは学年別に集計することで、実際にカリキュラムで付け加えられた「価値」を測ることができる。人事担当へのサーベイでは「パフォーマンスギャップ」が分析される。人事においてはコミュニケーション能力が重視されるが、それについての準備については評価が低い。逆に問題解決についてはほとんどギャップはない。
初日午後の最初のセッションは、ABETがOAに移行したことのさまざまな影響について論じる発表が続いた。デイビスは、11項目の目標をデザイン教育に集約して達成しようとするワシントン州を中心とした試みについて発表した。当初は1〜2年次のデザイン教育からはじめて、現在ではキャップストーン(卒業研究)に重点をおいている。サックスは継続的改善を効率的に実践するためのウェブを使ったembedded assessmentについて紹介を行った。このシステムは、それぞれのクラスに対する学生の評価がほぼリアルタイムでウェブ上に反映され、クラス間の比較、細かい細目別の比較も容易にできるようプログラムされている。ラハラはノースカロライナ州立大学において、ABETの認定と大学全体のカリキュラムレビュープロセスの連動について紹介した。この大学では、工学部のABET対策との整合性を持たせるため、全学のレビューをOAに移行させ、情報やプロセスの共有などで相互に利益を得ている。シュミットはOAが学習者中心教育(learner centered education)につながるはずだという視点から、テキサス大学におけるFDの努力について紹介している。ここでも、ABETがOAに移行して継続的改善をうたうようになったことが学習者中心教育を実現するためのFDプロセスの見直し・強化につながっている。リバティは、パフォーマンスベースで給料を増額する仕組みを導入することでOAの圧力に答える取り組みを紹介した。このセッションにはその他二人の発表者がいたがそれは残念ながらきくことができなかった。
午後の第二のセッションはmaking it workと題してOAに基づく評価の実施をめぐる問題をとりあげた。ベスターフィールド=セイクルはピッツバーグ大学の評価努力について発表した。この工学部は10個のプログラムをもちそのそれぞれが学生のさまざまな段階(入学してすぐから卒業後まで)の7回のサーベイを行っており、さらに各授業ごとの調査も行っている。大事なのはペーパーワークを少しでも減らし、結果を見て分かりやすくすることだということが強調され、改善を文書化することの重要性も強調された。次の発表者(ブラットとトリー)はノースカロライナ大学での実践をもとに、評価プロセスを持続可能にすることの重要性を強調した。彼らも学生や卒業生・雇用者を対象としたサーベイ(この中にABETのA-kの基準も明示的・非明示的に含まれている)や各授業のa-kに対する対応づけを行っている。得られた結果をデータベース化することが持続可能性の鍵である。また、認定のために内部評価をするという態度では長続きしない。さらに、参加する教員には報酬が必要であることも指摘された。ギャレットはカーネギーメロンにおける取り組みについて報告した。ここでもさまざまなサーベイが行われており、それを持続可能にすることが大事だということが指摘された。データ収集には外部からの資金を利用して持続可能性を保証している。学科ごとの違いを大事にしながら情報を共有することの重要性を指摘した。ホーイはジョージア工科大学での取り組みを報告した。ホーイらは自己評価における信頼の問題についての調査をNSF SUCCEEDによる援助のもとで行った。さまざまなグループに対して行った調査から、もっともよく使われる学生や卒業生の自己報告の情報はもっとも信頼されていないデータでもあることが分かった。また、自己評価においては「安全な」(ネガティブな結果が出にくい)質問をしてしまうバイアスなども指摘された。イングラムは、現在のOAへの対応は評価手法の改善という形で現れており、品質そのものの改善はうまく組み込まれていない、という点を指摘した。そこでクローズアップされるのが産業界で使われるCQI(continuous quality improvement)の手法であり、イングラムは具体例を通してCQIの使い方を紹介した。
二日目の最初のセッションはOAにおけるFE試験の利用についてであった。FE(fundamentals of engineering)とは、アメリカ全土で共通の標準化された試験で、午前と午後にわかれ、午前の試験で工学全般についての知識を、午後の試験でそれぞれの専門分野における知識を試験する。ほとんどの州において、技術者の免許を取るためにはFE試験に合格することが必要とされているが、免許をとる必要のない学生は必ずしもFEをうけなくてよい。このセッションでは4人のパネリストがFEをOAに利用することの長短について論じた。長所としては、標準化されたテストであるために客観的な指標として用いやすいという点が挙げられ、短所としてはFEがあまりに網羅的であるために質問事項を学生がならっていないことが多いということが挙げられた。パネリストのひとりのフレッダーマンはとくにFEの利用に関して懸念をしめした。ABETは各教育機関がそれぞれの目標にもとづいて創意工夫をすることを奨励しているのに対し、FEに合格するような学生を育てることはむしろ教育プログラムの画一化につながる。このフレッダーマンの意見に対しては、会場から、各機関があまりに独創的で基本的なことを教えなくなってしまうことは、卒業生が一定の基準をクリアしていることを保証する、というそもそもの認定の目標と矛盾しているのではないか、という反論が出た。
午前の第二のセッションはABET以外の認定機構がOAに移行しつつあることに関する報告であったが、このセッションは欠席した。午前の最後のセッションはEC2000がさまざまな面での協力を促進している現状についての報告が行われた。ハネマンはアイオワ州立大学での取り組みについて報告した。この大学では基準3のa-kの結果を満たすために14の「能力」を特定し、それらを観察可能な行為パターンで操作的に定義して計測することでOAを行っているという。セダークロイツはシンシナティ大学の取り組みについて報告した。シンシナティ大学は創立当初から産業との結びつきが密であり、co-opプログラムも充実している。コントロールしやすいシステムを作ることが重要である。スピーナはシラキューズ大学からの報告をした。EC2000のためには工学部が学部内部での協力および大学の他の部分(数学科、ライティングセンター、物理学科)との協力を行うことが必要になり、工学部の教育がそれによって大きくかわったことが報告された。
二日目の午後はタウンミーティングということで、参加者からのフィードバックや提案をABETの側がうけるセッションが開かれた。わたしは参加しなかったが、継続的改善をABET自身が率先して実践していることのあらわれとして非常に興味深い。

工学倫理教育にたずさわる者の立場からこの年会に参加してみて、なによりもまず、技術者の倫理への明示的な言及がほとんどないことが気になった。もちろん技術者の責任や技術の社会的影響に関するoutcomeは基準3のa-kのうちのfやhという形でとりこまれており、ある意味ではすべての報告において言及されていたともいえる。しかし、f やhに特に言及する報告がほとんどなかったのに対し、g(コミュニケーション)やd(チームワーク)に言及する報告は目立った。これは、特に産業の期待する学生と教育成果とのギャップを論じる報告でとくに顕著な傾向だった。あるいは、これは産業主導で進むOAの推進の構造的な問題かもしれない。gやdは人事担当や雇用者が特に注目する属性であるため教育プログラム上の課題となりやすいが、fやhについてはそうした圧力が顕在化しにくいため、有効なOAができないのではないだろうか。
しかし、他方、よりよい倫理教育を行うためには、OAの考え方を生かすことが大事なのも確かであろう。学生が本当に倫理的な視野や能力を身につけたかどうかを測るのは難しいとはいえ、なんらかの形でそれを測ろうとするのは、授業だけやればあとはどうでもよいという態度よりははるかに責任ある態度だといえる。今回の年次総会で行われた報告の中ではあまり具体的に触れられていなかったが、基準fやhにかかわるデータは、主に学生や卒業生へのサーベイという形で収集されているようである。そうしたサーベイは、もし実施する人的・金銭的資源があれば(内容次第では)確かに授業改善の強力なツールになるだろう。
また、日本の工学教育全般(工学倫理教育にかぎらず)の今後のありかたということについても、考えさせられることの多い会合であった。OAは人的にも金銭的にも大変な資源を要するということは確かで、ABETの80年代型の認定システムすら存在してこなかった日本にいきなりOAを導入するのは無謀ではないかと思うが、これは私が心配することでもあるまい。ABETがOAを採用したことが他の認定機構や大学の自己評価にも大きな波及効果を持った(そしてこれからも持つであろう)ことは報告からもうかがえたが、はたして日本の認定機構もABETに追随すべきなのだろうか。JABEEが設立された目的からいえばできるだけABETに近づけることが急務となるのであろうが、ABET の進む道が本当に社会全体にとって望ましい道なのか判断するには注意深い観察が必要だと思われる。一つの危険性としては、EC2000が各大学の独自の目標に基づく人材育成をうたいながら、目に見えるoutcomeを強調しすぎることで、結局は産業のもとめる高品質の人材を作ることを主目的としてしまいかねない点があげられる。日本の大学はもともとそういう性格が強いため、OAを日本に導入するとアメリカ以上に産業中心の大学ができあがってしまう可能性がある。もちろん、産業の求める人材が結局は社会全体のためになる人材でもある可能性はあるだろうが、たとえば内部告発がどうしても必要なときに責任をもって行えるような人間がそうした枠組みで育つのか(内部告発の望ましさを巡る議論はとりあえずおくとしても)、疑問をもたないわけにはいかない。
工学倫理教育を巡るこれまでの議論は(日本だけでなくアメリカでさえ)ほとんど、その教育成果をどう評価するべきかという問題を無視してきた。しかし、特に日本の場合は認定制度との連動で工学倫理教育の導入が進められている以上、その評価をどうするかの問題と切り離して工学倫理教育のあるべき姿を論じることはできないだろう。

(本報告は平成14年度科学技術政策提言「科学技術倫理教育システムの調査研究」の一環としてなされ、同提言のための振興調整費によって行われたものである。)